風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

心が空っぽなら怖いものが無い 252号

2008年04月05日 15時34分40秒 | 随想
子供の頃、長野の田舎町の夜道で、蛇を見たと思い逃げ帰った経験がある。翌日現場に行ってみると、縄が落ちているだけである。蛇は気味が悪く、コブラやマムシには猛毒があり、人間を殺してしまうという知識にとらわれ、かたより、こだわる未熟な心が、恐怖を作り出している。独断と偏見で蛇と断定して、恐怖におびえ、夜も寝られない。

冷静に考えれば、寒い長野にコブラやマムシが生息している訳がない。自身で作り出した恐怖が、判断を鈍らしている。立ち止まり、身を屈めて観察すると「何だ、縄か」で済んでしまい、恐怖心は起こらないのである。

もっと考えを深めると、縄はわらで出来ているから、拾って帰り、畑の肥料なり、燃料にするなり、草鞋を編み、履物に出来ると考えると、町の美化に貢献できる仏様の行為である。

縄を蛇と考えるのは、転倒した考えで、病的である。縄を縄と素直に認めることが、人間として正しい。般若心経は、逆さまの考えを思うことを戒めている。

電車は、駅が離れていくのでなく、電車が離れていくのである。駅が離れてゆくなら、移動する人間は、電車を降りて、駅に乗らなければ成らない。転倒した考えである。

違和感のある最近の現象は、電車の男が乗れない女性専用車の存在である。痴漢対策が発想の原点だろうが、痴漢は男と決めているこだわりの発想である。男だって、女性の痴漢に遭遇することがある。女が乗れない女性差別車の設置を要請したい。男が一方的に痴漢ではなく、お互い様なのである。

本来は男と女は親密な関係が望ましい。少子化の原因は、男と女を隔離しないで、四六時中共学させる教育制度にある。若い時から同居した生活をさせられると、結婚適齢期には倦怠期になってしまう。結婚適齢期が離婚期である。だから子供が出来ない。男と女は互いに秘密の部分が無いと魅力が半減する。男と女は同じでないのである。

若者を都市一極に集中させ、電車にすし詰めにして、体を密着して移動したら、健全な若い男女は異様な雰囲気になるのが自然である。だから女性専用車は、問題のすり替えのように思う。都市圏運賃を高額にして定員を守る事を鉄道会社が励行すれば、痴漢は消滅する。大都会は不便になり、地方に人が分散する。「地方の時代」の到来を期待している。

儲けるだけの金権体質を遠離すると、女性専用車がなくなる。四国の鉄道車両には女性専用車が無い。乗客定員が満杯になることが決して無いからである。遠離一切顛倒夢想と般若心経は言っている。


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