
釈尊がまだ太子であったとき、カピラ王城から遊園に出かけるため、城の四方の門から出る際、東門では老人を見て、南門では病人を見て、西門では死人を見て、最後に北門では沙門を見た四門出遊の故事。
死人は行き先は阿弥陀仏の極楽浄土、病人が目指すのは薬師如来の東方浄瑠璃浄土だろうと思っていたが、病人は南門で遭遇したと言う。長年奇妙に思っていたのであるが、最近その答えを見出した。
紀元前数世紀の釈迦の時代は医学が皆無で病原菌に感染したら死が確定したのだろう。出来る事は南国の様な暖かい日溜りに座して死を迎えるのだろう。緩和ケアの看護師は死を司る阿弥陀様の脇侍を務める観音様だった。
現代社会の医学は驚異的発展を遂げ「治らない病気はない」状況に成った。
現代の治療不可能な病人は老衰だろう。その薬は薬膳料理と般若湯で担当は薬師如来様だから東門の老人は正解であるのだろう。