満室の湯河原温泉「花長園」に宿泊したのであるが、夜の温泉街を散策して気が付いたことがある。大小種々雑多の宿があるのであるが、駐車場が満車の宿もあれば、閑古鳥が鳴いている宿もある。客室が明るい部屋の多い宿もあれば、窓の暗い宿もある。外見が奇麗な宿もあれば、早急に修繕が必要と思われる宿もある。千差万別である。
小規模で小奇麗な宿は満室で、大規模の旅館は灯が消えている。勝ち組・負け組みがはっきりしている。格差社会の日本を象徴している様に感じる。
経済原則からすると、巨大化の道は、企業競争、利潤確保、存続性などで、国際的な経済戦争の軍隊としては強力な選択肢である。しかし適用できるのは、物の世界である。近代社会の物造り・物流・物販の唯物思想は、 More is better, Bigger is better, Faster is better という価値観で、物質的な繁栄を獲得し、豊かな社会が実現した。
反面、心は破壊され、凶悪犯罪の増加・教育の荒廃・公務員のモラルの低下・社会保障制度の崩壊など、物で栄えて、心で滅びる様相が顕著である。心の荒んだ唯物主義者が、心の修理に訪れるのが温泉で、温泉宿は心身の病院なのである。その使命感に燃えた、温泉宿の主人は、経済性はさて置き、心の治療を優先する奉仕活動の社会責任がある。客に感謝されると、評判が世間に流布し、口コミで客が自然に増えるのである。長い年月の後に筋金入りの成金となり、土地の名士に周りの人が祭り上げる。
「悪事千里を走る」と言う諺が古き良き時代にはあったが、死語となってしまった。世の中悪い話ばかりで聞き飽きてしまい、新鮮味が無いのである。心和み、癒される素晴らしい良い話があると、多くの人が飛びつき、「善事四千メートルを走る」事になるのである。(註釈 尺貫法は法律違反になるから)
昔は、まず物があり、奉仕があり、その提供の労働対価で生活の糧を手に入れた。金儲けの手段として労働提供があった。今は労働の手段として金を支払っている。逆転の発想が必要なのである。だから金を目的に群がる労働者は「金の切れ目が、縁の切れ目」となり去って行く。伝統とか老舗とか社史・終身雇用は近代企業で消滅する。
財力のある巨大旅館か、家族経営の小規模宿の二極分化が進む。心豊かに宿六の苦労を買って出る若者や宿を仕切る女将が育たなければ、温泉宿は博物館となる。巨大旅館や会員制のホテルでマニュアルに従った慇懃にして無礼なホテルマンの奉仕に適合した、優秀なロボット客が増えることになる。
一休禅師に「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまわん」の道歌があるが、完全無欠な奉仕は、物文明の無法者の心を癒さないのである。アドリブサービスのハップニングが良い思い出になる。
写真は湯河原峠から見た、初島リゾートである。
小規模で小奇麗な宿は満室で、大規模の旅館は灯が消えている。勝ち組・負け組みがはっきりしている。格差社会の日本を象徴している様に感じる。
経済原則からすると、巨大化の道は、企業競争、利潤確保、存続性などで、国際的な経済戦争の軍隊としては強力な選択肢である。しかし適用できるのは、物の世界である。近代社会の物造り・物流・物販の唯物思想は、 More is better, Bigger is better, Faster is better という価値観で、物質的な繁栄を獲得し、豊かな社会が実現した。
反面、心は破壊され、凶悪犯罪の増加・教育の荒廃・公務員のモラルの低下・社会保障制度の崩壊など、物で栄えて、心で滅びる様相が顕著である。心の荒んだ唯物主義者が、心の修理に訪れるのが温泉で、温泉宿は心身の病院なのである。その使命感に燃えた、温泉宿の主人は、経済性はさて置き、心の治療を優先する奉仕活動の社会責任がある。客に感謝されると、評判が世間に流布し、口コミで客が自然に増えるのである。長い年月の後に筋金入りの成金となり、土地の名士に周りの人が祭り上げる。
「悪事千里を走る」と言う諺が古き良き時代にはあったが、死語となってしまった。世の中悪い話ばかりで聞き飽きてしまい、新鮮味が無いのである。心和み、癒される素晴らしい良い話があると、多くの人が飛びつき、「善事四千メートルを走る」事になるのである。(註釈 尺貫法は法律違反になるから)
昔は、まず物があり、奉仕があり、その提供の労働対価で生活の糧を手に入れた。金儲けの手段として労働提供があった。今は労働の手段として金を支払っている。逆転の発想が必要なのである。だから金を目的に群がる労働者は「金の切れ目が、縁の切れ目」となり去って行く。伝統とか老舗とか社史・終身雇用は近代企業で消滅する。
財力のある巨大旅館か、家族経営の小規模宿の二極分化が進む。心豊かに宿六の苦労を買って出る若者や宿を仕切る女将が育たなければ、温泉宿は博物館となる。巨大旅館や会員制のホテルでマニュアルに従った慇懃にして無礼なホテルマンの奉仕に適合した、優秀なロボット客が増えることになる。
一休禅師に「この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまわん」の道歌があるが、完全無欠な奉仕は、物文明の無法者の心を癒さないのである。アドリブサービスのハップニングが良い思い出になる。
写真は湯河原峠から見た、初島リゾートである。