風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

老人は阿弥陀さん

2018年07月09日 06時14分16秒 | 随想

戦後の少年時代は信州善光寺の門前町で過ごした。

飛鳥時代の頃、崇仏の蘇我氏(蘇我馬子)と廃仏の物部氏(物部守屋)の抗争の時に難波の堀へ放り込まれた印度から百済経由で伝来の一光三尊阿弥陀如来は本田善光の背に乗って南信濃の麻績の里に来られ、後に北信濃の長野市の善光寺の本尊となった。阿弥陀仏を中心に左に観音菩薩、右に勢至菩薩の脇侍が一つの光背に並ぶ。

命ある人間が絶対見る事が出来ない絶対秘仏、有るのか無いのか。

仏教は以心伝心、有ると思えば有るし、無いと思えば無い、自分が主人公になって自前の一光三尊阿弥陀如来を心に思い描けばよいのだろう。そして仏になれば極楽浄土で対面できる。

奈良時代は学問仏教で、平安時代に伝教大師最澄の天台宗と弘法大師空海の真言宗の大衆救済の宗派が成立、真言密教は弘法大師の個人崇拝となり、天台宗は仏教の総合大学で、鎌倉時代には浄土系・禅系・日蓮系が分派した。

飛鳥時代は宗派が存在しないから善光寺は無宗派、厭離穢土欣求浄土の阿弥陀さんが故に、天台宗大勧進貫主と浄土宗大本願尼公上人が善光寺住職を務める。

四苦八苦の人生の黄昏を迎え、阿弥陀信仰を深めたいと思うのである。


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