風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

我が心の和泉雅子 

2007年04月18日 18時25分35秒 | 随想

へミングウエイの「キリマンジェロの雪」は、アフリカの最高峰、キリマンジェロ山頂の氷河の中に黒豹の死骸が埋もれていたと言う事実をネタに展開して物語る。

黒豹は何故・何のためにそこへ行ったのか?

20歳の時、高校の同級生と長野県の飯山線戸狩野沢温泉駅でスキー場行きのバスを待ち合わせていた時に、当時のアイドル俳優の和泉雅子に会った。母親と思われる女性と、当時は珍しい乗用車で人と合流する待ち合わせの様子、駄目元、一緒に記念写真を撮影することをお願いしたところ、承諾してもらえた。その写真は紛失して無い。

1965年頃で舟木一夫と「北国の街」のロケ、その映画は見ていないし、和泉雅子も忘れていた。

へミングウエイの「キリマンジェロの雪」の紹介文章を、他人のブログで見た時に、突然思い出した。43年前の事である。最近は過去の情景を思い出すことが多いのである。私の脳細胞は異常なのだろうか。

和泉雅子を調べてみたら、冒険家に成っていた。北極点にスノーモビールで到達した、良家のお嬢様が大変身、人生は波乱万丈。

富山東高校の講演会で語る。

私の職業は女優ですが、〝あれ、あの人は冒険家?〝と言ってもらうとうれしくなります。その女優がなぜ北極点を目指したのか、いまだに理由がわからないのですが、初めて南極の景色を眺めて、驚きました。私は銀座の出身なので、いつも突き当たりのある景色の中にいましたから、南極の空と海ばかりの雄大な景色を見て「あっ世界にはこんな所もあるんだな。」と感激しました。南極の景色は見たので今度は反対側の、あの地球儀の鋲が止まっている北極点の景色が見たいと言う気持ちが遠征隊へと発展したんです。

二度も北極点に挑戦して全財産失いました。大金使って何も品物は残らなかったけど、心の中には素晴らしいものが残った。北極の大自然から素晴らしいものを教えていただいた。それはこの世の中にはお金で買えないものもあるということ。命、そう心だって売ってない、優しい思いやり、親切、友情もそうです。友情は長い年月掛けて心と心が通じ合うから生まれる気がします。

どうか皆さん、毎日の暮らしの中で自分だけの北極点、目標、夢というものが絶対あると思います。どうぞ自分の北極点に向かって一生懸命走って、いつまでも地道で、まじめで、さわやかで、健全で、健康的なすばらしい大人になってほしいと思います。

しばし沈黙の後、和泉雅子の思いが理解できるのである。

キリマンジェロ山が北極で、生きている黒豹が和泉雅子であるとは言わないが、このような解釈も出来るのである。アラスカのマッキンレー山で遭難した冒険家・植村直己の遺体は発見できないけれども、何故・何のためにマッキンレー山に登ったの。又物語が始まる。物語は無尽蔵なのである。

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