風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

伊達でなくて酔狂で述べる 384号

2008年10月21日 10時16分45秒 | 随想
扇子日の丸の豊臣秀吉の朝鮮出兵時の援軍である伊達政宗家来の装束は絢爛豪華で、巷間の人気を独占した。武術に優れた強力な部隊とは言えず、秀吉の派手好みの性格に訴え親衛隊に採用され、部下の安全保障を求める正宗の強かな戦略が隠されている。伊達の語源である。

人間関係の基本は贈り、それに答える贈答文化である。

古き日本は、集団を束ねる君主が夢を語り、臣下はその人生哲学に共鳴し、手助けする心の贈答文化だった。コロコロ変わるのが心であるから、君主の刹那の善悪判断の行為が論功行賞で、モノの贈答文化が発展した。君主にモノを贈る事で人生哲学に賛同し、モノを与えることで信頼の証しとする。心が主役で、モノは脇役だった。

西洋唯物論は、権力者が金儲けの哲学を話し、その蜜に群がる烏合の衆が集う。モノである金が主役で、心は無く、金が全てである。金の切れ目が縁の切れ目になる。

心の発露である労働をモノとして扱う。効率の良い働きに高額の賃金を与える。優しい心、いたわる心、謙虚な心の仏心は邪魔者で、人の不幸は蜜の味と思う悪魔の心が物欲社会の必須科目のように見える。労働は他人を労わる為に人が動くのである。

労働するからモノが与えられると思うのが東洋思想で、モノを獲得する為に労働すると考えるのが西洋思想である。太陽の恩恵の水稲栽培の農民主役の東洋とモノを移動させて金を稼ぐ商人主役の西洋。

士農工商の戦前の日本、士商工農の現代日本、農工商士が将来の日本の理想である。百種の農産物を作る百姓が主役で、その道具を作る職人が脇役、商人は手助けするボランティアに徹し、親方日の丸の公務員は天下国家を論じる聖職者に変わることである。職業の貴賎でなく、従事人口の順である。そもそも原始共産社会では職業区分が無く、各個人が兼務していた。

価値観を共有する議員に清き一票を贈り、健康で文化的な社会を創るのも立派な贈答文化である。利己的な贈答は贈収賄で社会悪である。

「酒を飲む人 花なら桜、今日は酒・酒 明日も酒」

桜は来春に満開だろうが、おいらは定年退職を迎える紅葉である。焼酎を飲み過ぎ、酒に飲まれた酔狂な話で、伊達者になれないおいらである。

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