東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

冬の熱燗〜すべてを対立物の統一で〜

2018-02-05 08:55:11 | 日記
父に熱燗を勧めた。すべてを対立物の統一で考えることの大事性実感される。

高齢の父は、日々出来ることが減って行き、次第次第にあれもこれも出来無くなっていって......客観的には、年齢を考えると仕方ないなあと思うのだが、自身では、あれも出来なくなったこれも出来なくなった、とストレスいっぱいの近頃である。

そんな父の数少ない楽しみが晩酌なのであるが、好きな冷えたビールは、特に冬には、身体を冷やすので......と、やめた方が良い、とのアドバイスをしていた。

それゆえに、自身のアドバイスを守ってビールを飲まなくなっていっていたのだが、時に缶チューハイを買って来たりしているので、ああやっぱり呑みたいのだなあ、と気づかされて(自身には日常的な飲酒の習慣がないので、父の気持ちが分かってなかったと反省され......)、冬の間は、呑みたいのなら、焼酎のお湯割りか熱燗のお酒にすればどう?とアドバイスし、昨夜は熱燗を準備してすすめた。

そうすると、近頃、自身の衰えに苛立っていた父の認識が随分と穏やかに整えられた、と思えた。

これは、自身が相手の認識を分かってやれていなかった、ということであるし、ものごとを弁証法的に捉えられていなかった、より具体的に言えば、これはすべきで無いということをこれはしても良いということとの対立物の統一として捉えての実践でなかった、それゆえに上手くいかなかった、父の苛立ちをますます募らせて、ビールの代わりに缶チューハイを飲んで、ということになっていったのだと思える。

認識論云々以前に弁証法的にすらものごとを考えることが出来ていないのだ、と。
電子レンジで40秒、あるいは鍋に徳利が半分浸かるくらいのお湯を沸かして、火を止めて徳利を入れて3分。

身体が温まるし、冷酒と違って呑みすぎないらしいので......。
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