陰陽の対立と依存の問題を考えると何故か?と問う必要性痛感する。
陰陽の対立と依存とは、世界のあらゆる事物を陰陽という対立として捉えることができるが、同時に陰陽はお互いに依存している、一方だけでは存在出来ないという事。
例えば、女性と男性は対立するものとして陰陽として捉えることができるが、人間は女性あっての男性であり男性あっての女性であって、けっして女性、男性の一方だけでは存在出来ない。世界がどちらか一方だけになってしまったら人類が滅んでしまう。
例えば、鍼灸の虚実も陰陽と捉えることができるが、どちらか一方だけしか存在しなければ、虚も実も無くなってしまう。ただ身体の状態があるだけとなる。虚は実との対比で初めて虚であり、実は虚の対比で初めて実となる。
こういう事を、陰陽の対立と依存として学ぶのであるが、ではどうしてそうなのか?という説明は無い。せいぜい、陰陽はそういう性質がある。それが世界の、陰陽の性質である。で終わってしまう。
しかしながら、本当は「武道哲学講義 第一巻」(南郷継正著 現代社)で説(解)かれるが如くに、陰陽には何故に対立と同時に依存があるのかを問わなければならないと思える。
端的には、そうでなければいつまでたっても陰陽説でしかないのだから。
陰陽の対立と依存とは、世界のあらゆる事物を陰陽という対立として捉えることができるが、同時に陰陽はお互いに依存している、一方だけでは存在出来ないという事。
例えば、女性と男性は対立するものとして陰陽として捉えることができるが、人間は女性あっての男性であり男性あっての女性であって、けっして女性、男性の一方だけでは存在出来ない。世界がどちらか一方だけになってしまったら人類が滅んでしまう。
例えば、鍼灸の虚実も陰陽と捉えることができるが、どちらか一方だけしか存在しなければ、虚も実も無くなってしまう。ただ身体の状態があるだけとなる。虚は実との対比で初めて虚であり、実は虚の対比で初めて実となる。
こういう事を、陰陽の対立と依存として学ぶのであるが、ではどうしてそうなのか?という説明は無い。せいぜい、陰陽はそういう性質がある。それが世界の、陰陽の性質である。で終わってしまう。
しかしながら、本当は「武道哲学講義 第一巻」(南郷継正著 現代社)で説(解)かれるが如くに、陰陽には何故に対立と同時に依存があるのかを問わなければならないと思える。
端的には、そうでなければいつまでたっても陰陽説でしかないのだから。