弟への施術を振り返る。一般的治療の二重構造について。
弟の手術後の痺れに対する施術、特殊的治療としては効果を感じてもらえなかったのだが、施術後しばらくして二時間ほど眠ってしまい、その日は夜の7時ごろから翌朝の10時ごろまで眠っていた。
彼は仕事の関係もあって、日常的に夜更かしする生活パターンが身についており、通常帰省して来ても、逆に帰省して来ているからかもしれないが、毎晩1時2時まで起きているのが通常であるので、また、自身でもいつも就寝が遅いので早くからは眠れないと常々いっているので、早い時間からぐっすり眠って遅くまで起きなかったのは、鍼灸の効果では?と思える。
このことを含めて、今回の弟への施術を特殊的治療と一般的治療として捉え返してみると、特殊的治療としては失敗であるが、一般的治療としては成功したといえるのでは?と思える。なぜなら、生活過程を整えることの大きな柱である睡眠を整えることが出来たのであるから。
弟への施術の事実に、自身の施術(主に手技療術)の、また鍼灸術・手技療術の施術を受けての何十年間の経験では施術後は無性に眠かったり、夜にしっかりと眠れるということがあるのを思い併せてみると、鍼灸術・手技療術の素晴らしいところは、特殊的治療を行うことが直接に一般的治療となっていることなのだと思える。
また、以上の事実を思い、考えてみると、一般的治療というものは、例えば睡眠では、「しっかりと最低八時間は睡眠を取りなさい。」と指示して患者が八時間睡眠をとるようになって病が回復していくことは一般的治療であるけれども、睡眠をとろうにも眠れない、いわゆる不眠の状態の患者に対しては、「しっかりと八時間睡眠を取りなさい!」というだけでは不足であり、八時間睡眠をとれるようにする、という治療が必要となるし、そのこともまた一般的治療といっていいのでは、と思う。
これは、一般的治療の対象である生活過程の乱れ、この場合であれば睡眠の乱れにも、睡眠がとれていないレベルと睡眠をとろうにもとれないレベル、つまり睡眠をとらない、とれないことが量質転化してしまっているレベルの二重構造があり、そう考えると、その生活過程の乱れの二重構造に対応して、治療も二重構造を持つことになるのでは、と思える。
そして、その二重構造の一である、眠るように指示するのではなくて、眠れるような状態にするということに、鍼灸術・手技療術の本領があるのでは、とも思える。
未だ、自身の中で整理仕切れてないのであるが、治療論の構造論である一般的治療論と特殊的治療論について知り、自身の実践の事実で考えてみることで、鍼灸術・手技療術の意義が見えて来るように思える。引き続き『「医学原論」講義』に学ぶとともに、自身の実践とともに考えて行きたい。
弟の手術後の痺れに対する施術、特殊的治療としては効果を感じてもらえなかったのだが、施術後しばらくして二時間ほど眠ってしまい、その日は夜の7時ごろから翌朝の10時ごろまで眠っていた。
彼は仕事の関係もあって、日常的に夜更かしする生活パターンが身についており、通常帰省して来ても、逆に帰省して来ているからかもしれないが、毎晩1時2時まで起きているのが通常であるので、また、自身でもいつも就寝が遅いので早くからは眠れないと常々いっているので、早い時間からぐっすり眠って遅くまで起きなかったのは、鍼灸の効果では?と思える。
このことを含めて、今回の弟への施術を特殊的治療と一般的治療として捉え返してみると、特殊的治療としては失敗であるが、一般的治療としては成功したといえるのでは?と思える。なぜなら、生活過程を整えることの大きな柱である睡眠を整えることが出来たのであるから。
弟への施術の事実に、自身の施術(主に手技療術)の、また鍼灸術・手技療術の施術を受けての何十年間の経験では施術後は無性に眠かったり、夜にしっかりと眠れるということがあるのを思い併せてみると、鍼灸術・手技療術の素晴らしいところは、特殊的治療を行うことが直接に一般的治療となっていることなのだと思える。
また、以上の事実を思い、考えてみると、一般的治療というものは、例えば睡眠では、「しっかりと最低八時間は睡眠を取りなさい。」と指示して患者が八時間睡眠をとるようになって病が回復していくことは一般的治療であるけれども、睡眠をとろうにも眠れない、いわゆる不眠の状態の患者に対しては、「しっかりと八時間睡眠を取りなさい!」というだけでは不足であり、八時間睡眠をとれるようにする、という治療が必要となるし、そのこともまた一般的治療といっていいのでは、と思う。
これは、一般的治療の対象である生活過程の乱れ、この場合であれば睡眠の乱れにも、睡眠がとれていないレベルと睡眠をとろうにもとれないレベル、つまり睡眠をとらない、とれないことが量質転化してしまっているレベルの二重構造があり、そう考えると、その生活過程の乱れの二重構造に対応して、治療も二重構造を持つことになるのでは、と思える。
そして、その二重構造の一である、眠るように指示するのではなくて、眠れるような状態にするということに、鍼灸術・手技療術の本領があるのでは、とも思える。
未だ、自身の中で整理仕切れてないのであるが、治療論の構造論である一般的治療論と特殊的治療論について知り、自身の実践の事実で考えてみることで、鍼灸術・手技療術の意義が見えて来るように思える。引き続き『「医学原論」講義』に学ぶとともに、自身の実践とともに考えて行きたい。