フロイトの医学体系=観念論的学問体系について知ると(瀬江先生が説かれているものを読むと)東洋医学というものを如何に評価して、そこから学んでいくべきなのかがイメージ出来る、と思える。
学問というものは、人間の実践というものは、その時代の自然、社会、精神とつながりあってのそれなのであるから、宿命として時代性を持つものである。それだけに、現代に生きる我々が現代の時代性から先達を批判してはならず、必ず、先達の業績を現代の時代性から完成的に学んでいくべき、そのように評価もしなければならない、そうでなければ、時代性を無視して先達を見下すという愚をおかすならば、自身が落ちていくのみ、の現実を持つしか無くなっていく、と『学城 第16号』(現代社)の「編集後記」で説いていただいている、と理解している。
それだけに、自身の東洋医学の学びも、古代中国の原点においても、近現代の東洋医学・鍼灸論においても、単純に観念論的、と切り捨ててしまうのでは無しに、歴史上の偉大な先達に対しては、例えば、本間祥白であれば、本間祥白が、本当ならば何を成したかったのか?を、それが時代性ゆえに成せなかったのだ、ということをしっかりと分かって、現代という時代性の実力を持って、完成させてやることで、その上での、評価をすべきである、そこから学んでいくべきである、との思いがある。
そう考えた時に、相手の体系の何が不味くて、何が正当性を持つのか、をしっかりと区別する必要性がある、が自身の実力からはそこの区別がなかなかに難しい、明確になって行かない、ということがある。
その難関を、瀬江先生の説かれる「フロイトの医学体系批判」は、突破させてくれるものである、と思える。しっかりと学んで行きたい。
『看護学と医学(上巻)』(現代社)では、「ここで哲学的体系とはどのようなものであるかを少し具体的に理解していただくために、医学の分野における哲学編のひとつをあげてみたい。」としてフロイトの医学体系について説いていただいている。詳細には『看護学と医学(上巻)』の第二編 第一章の『科学的学問体系とは何か」をお読みいただければと思うが、一部を紹介しておきたい。
「端的には、フロイトは自らがかかわり、対象としてきたものの全体像、すなわち体系を創出する段階になった時に、あくまでそれらの事実から論理を導きだし、その法則性を一般化していく科学的な態度を貫きとおすことができなかったのである。というより、その科学的な本質論を定立するだけの実力がなかったのである。実力がないとなれば方法はふたつである。体系化をあきらめるか、あきらめられなければ誰からか、どこからか、体系化に必要な理論として、本質論すなわち哲学を借りてくるしかない。なぜならそうしなければ、どのような体系にもなりえないからである、そこで彼はどうしたか。自らが実践し経験した事実を説明できそうな既存の理論に抱きついてしまったのである。」
ここに説いていただいていること、フロイトの個としての問題と東洋医学を生み出した人類の歴史上の問題との違いはあっても、東洋医学を誕生させた古代中国の人々が「陰陽五行論」を借用して「東洋医学の本質論」としていくことで、その体系を創出していったことと同似性があるものと思われ……。
学問というものは、人間の実践というものは、その時代の自然、社会、精神とつながりあってのそれなのであるから、宿命として時代性を持つものである。それだけに、現代に生きる我々が現代の時代性から先達を批判してはならず、必ず、先達の業績を現代の時代性から完成的に学んでいくべき、そのように評価もしなければならない、そうでなければ、時代性を無視して先達を見下すという愚をおかすならば、自身が落ちていくのみ、の現実を持つしか無くなっていく、と『学城 第16号』(現代社)の「編集後記」で説いていただいている、と理解している。
それだけに、自身の東洋医学の学びも、古代中国の原点においても、近現代の東洋医学・鍼灸論においても、単純に観念論的、と切り捨ててしまうのでは無しに、歴史上の偉大な先達に対しては、例えば、本間祥白であれば、本間祥白が、本当ならば何を成したかったのか?を、それが時代性ゆえに成せなかったのだ、ということをしっかりと分かって、現代という時代性の実力を持って、完成させてやることで、その上での、評価をすべきである、そこから学んでいくべきである、との思いがある。
そう考えた時に、相手の体系の何が不味くて、何が正当性を持つのか、をしっかりと区別する必要性がある、が自身の実力からはそこの区別がなかなかに難しい、明確になって行かない、ということがある。
その難関を、瀬江先生の説かれる「フロイトの医学体系批判」は、突破させてくれるものである、と思える。しっかりと学んで行きたい。
『看護学と医学(上巻)』(現代社)では、「ここで哲学的体系とはどのようなものであるかを少し具体的に理解していただくために、医学の分野における哲学編のひとつをあげてみたい。」としてフロイトの医学体系について説いていただいている。詳細には『看護学と医学(上巻)』の第二編 第一章の『科学的学問体系とは何か」をお読みいただければと思うが、一部を紹介しておきたい。
「端的には、フロイトは自らがかかわり、対象としてきたものの全体像、すなわち体系を創出する段階になった時に、あくまでそれらの事実から論理を導きだし、その法則性を一般化していく科学的な態度を貫きとおすことができなかったのである。というより、その科学的な本質論を定立するだけの実力がなかったのである。実力がないとなれば方法はふたつである。体系化をあきらめるか、あきらめられなければ誰からか、どこからか、体系化に必要な理論として、本質論すなわち哲学を借りてくるしかない。なぜならそうしなければ、どのような体系にもなりえないからである、そこで彼はどうしたか。自らが実践し経験した事実を説明できそうな既存の理論に抱きついてしまったのである。」
ここに説いていただいていること、フロイトの個としての問題と東洋医学を生み出した人類の歴史上の問題との違いはあっても、東洋医学を誕生させた古代中国の人々が「陰陽五行論」を借用して「東洋医学の本質論」としていくことで、その体系を創出していったことと同似性があるものと思われ……。