規範というものを自身の内にしっかりと創りあげること=量質転化化することの大事性痛感する。
認知症へとなっていく父の言動を視ると、(父の場合には)規範が徐々に失われていって、ということが見えてくる。
具体的には、ああしなければならない、こうしてはいけない、ということを無視して、ああしたい、こうしたいが、優先されるようになっていっている。
要するに、対象の構造に見合ったアタマの働きが衰えていって、自分の思い、感情のままの言動となっていっている。
別言すれば、規範の喪失であろうか。
人類は、本能を失って、それに代わるものとして規範を誕生させた。
それだけに、規範を失っていくと、行き当たりばったりの、というか社会性のある=対象の構造に見合った言動が困難になっていく。
では、すべての規範が失われていくのかといえば、しっかりと量質転化化したものは、排泄はトイレでとか、ご飯をお箸でとか、寝るのは布団で、とかは残っていく。
それだけに、規範のしっかりとした量質転化化が、認知症へとなっていかないためには大事なこと、と思える。
何よりも自身の思いが一番として、対象の構造に見合ったアタマの働きを技化=量質転化化することを怠った罰というべきか......。