MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・睡眠に関わる問題等を論理的に説きます。

卒業研究について〜すべては同じ筋道で〜

2017-02-25 19:04:52 | 卒業研究(耳鍼,統計学)
卒業研究について考えた。要するに、論文と同じアタマの働きが必要なのだ、と思える。

昨日で鍼灸学校二年生の授業はすべて終了した。併せて、卒業研究のゼミ?も、実験結果の考察を残すのみとなり、各自持ち寄って6月の発表までに完成せよ、ということであった。

しかしながら、実験結果の考察とは、対象の構造に分け入るということであり、構造論の展開であるから、実験結果をいくら見つめてみても、そう容易くは……であると思う。

これは自身にとってもそうであるし、同級生諸氏にとってもそうである、と思える。実際に、この数日、毎日のように実験データを見つめてみても、それの集計を担当教員から示されても、少なくとも自身では、なんのことだかさっぱりで、「……当初に、統計学的にデータをとっての実験をデザインして、実験すべきであった……それをいい加減にしておいて、わずかな体重等の経時的データとアンケートとでなんとかしようとても……」と、ひたすら嘆くのみであった。

ところが、昨日、学校帰りの電車内で実験データを視ていると、「!?」と思いついたことがある。それは、統計学的とか、集計データとか……にとらわれているから、お手上げ!となっているだけであって、やらねばならないことは、要するに、今回の一連の実験データという対象的事実の構造に分け入ることである。ということであった。

これは、別言すれば、卒業研究の考察を書くということは、論理的には、自身の日々行っていることと同じことであるし、ブログの記事を書くこと、論文を書くことと同じことでしかないのだ!にもかかわらず、卒業研究という形式に惑わされて……であったのだ、ということである。

それゆえ、卒業研究を、耳鍼にかかわる論文という形で完成させる。ということが為すべきことである、との結論となった。(であるから、予告していた今後のブログの展開も違ったものとなっていく、予定である。悪しからず……)
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