東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

経穴と手技療法術~文化遺産としての経絡経穴~

2015-11-20 19:13:51 | 鍼灸術・手技療法術
経穴の暗記・暗唱終えた。手技療法術においての経穴の学びの有効性実感する。

経穴361穴の暗記・暗唱を漸く終えた。経穴の歌のおかげで、当初は、果たして覚えきれるのだろうか?と不安いっぱいであった361の経穴が、僅か二週間余で暗記・暗唱を終えることが出来た。

未だ、取穴に関しては大雑把なのであるが、経穴の暗記・暗唱をすることで、手技療法術に関わっての(現在は鍼灸で試すこと出来ないので)経穴を学ぶ意義実感出来たと思える。

それには、大きく二つある。一つは、これまで途中での中断があったものの手技療法術(指圧、整体等)としては、20年近くの施術の経験があるので、まともに経穴を学ばなかったとはいえ自分なりの治療点を持っていたのだが、それらのほとんどが経穴と一致していたこともあって、これまで、ほとんどばらばらに独立であった治療点が、経脈という形で統合整理された。それゆえに遠隔治療への道が開けて行きそうに思える。

もう一つは、自身で、ほとんど独学、独力で経穴=治療点を見つけるということは、例えば、「居髎」とほぼ一致する治療点を自身で見つけて腰痛治療に使っているのだが、この治療点が明確な形で決まるまでに年単位の年月を要している。様に、極端に言えば、年単位の実践を持って一穴一穴を見つける。という過程を持つ必要がある。少なくとも自身では。

そういう点から、文化遺産としての経穴を学ぶということ。の意義を痛感する。おそらく、361穴を自力、自努力で発見するということはほとんど不可能である。と思う。

経穴を東洋医学、鍼灸の文化遺産と捉えて、学びを深めていくことで、自身の施術の発展を図りたいと思う。

当初は、経穴の暗記・暗唱を無駄な労力!?とも思ったのであるが、現在は貴重な文化遺産修得のチャンスを与えていただいた!と、経絡経穴概論の先生には、感謝の気持ちでいっぱいである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 曲池、手三里、落沈、腰腿点(... | トップ | 今日の昼食~手技療法術に関... »
最新の画像もっと見る