東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

今日の昼食~手技療法術に関わるココロは如何にあるべきか~

2015-11-21 17:48:59 | 鍼灸術・手技療法術
外食した。手技療法術に関わるココロ=認識は如何にあるべきか?と改めて考えさせられた。

本日、大阪まで出かける用事があり、このところカレー三昧であったので、和食をと思い定食屋風の店で昼食をとった。(本当は目当ての店があったのだが、昼の時間には間に合わなかった。)

店に入ってカウンターに座ると、皿に盛り付けたアジフライがラップをされて並べられていた。作り置きして油のまわったアジフライ!?と驚かされたのだが、メニューを見ると煮物や焼魚もあったので、鯖の塩焼きを注文した。

直ぐに付き出し?のサラダが出されたのだが、くず野菜?にサザンアイランドドレッシングをかけたなんとも奇妙なもので、魚の焼けるのを待つ間に少し箸を付けたが、入っている小口切りの胡瓜が凍っていたり魚の皮や骨が入っていたりと、まさに残飯!であったので、さすがの私も食べるのを止めた。(自身は、一時期、明治生まれの祖父母に育てられ、食べ物を粗末にしてはならないと幼少時から教え込まれているので、どんなに不味い料理でも通常は残すことはしない。)

次いで出てきた鯖の塩焼きは、焼いて置いたものをレンジで温めたものの様で、身は硬く脂臭くで、食べられたものではなく、箸を付けたもののこれも食べれず、御飯もやはりレンジの温めなおしのようで美味しくなく、最後に出てきた味噌汁は、赤出汁にレタスのくずが浮かんでいるなんとも奇妙なもので、すべてがとても食べられたものではなかった。

何か一言言いたい気分であったが、卑屈な?笑いを浮かべている老夫婦?の顔を見ると、文句を言うのも哀れ、かつ言うだけ無駄との思いとなって、箸を付けただけで、ほとんど食べ残して店を出た。

さて、何故にこんなつまらない愚痴、失敗談を長々と書いたかと言うと、この出来事を視る(しっかり見る)と、手技療法術の施術に関わる認識は如何にあるべきかが、視えてきた様に思えた。からである。

どういうことか。この定食屋の料理のレベルの問題外の低さには、二重構造がある。と思う。一つは、料理=技のレベルの低さ、技のレベルがプロのレベルに無い。赤出汁にレタスを入れてみたり、料理が凍っていたり、温めなおした魚が硬かったりと、料理の基本がなって無い。

もう一つは、これがより重要であると思うのだが、料理を作るココロがプロのレベルに無い。どころか、そもそも料理のココロが無いということである。

そもそも、料理を作るということは、食べる相手に対して良かれ!との思いが大原則である。と思う。例えば、喜んでもらいたい。美味しく食べてもらいたい。元気なってもらいたい。健康に育っていってもらいたい。等々、料理は相手に対しての思いを込めて作るのが大原則である。と思う。にもかかわらず、今日の昼食の料理は!である。

そう考えると、手技療法術も同じである。手技療法術の施術も、大きく二重構造として捉えるべきである。一つは、プロと言えるだけの技のレベルが必須である。加えて、その技が、相手=患者に対してのココロのこもった技へとなっていなければならない。と思う。

このココロのこもった技ということ。単に、素人レベルの一生懸命さだけでは、プロとして不足である。と思う。そういう意味で、手技療法術は、修業だけでは駄目で、修業とともに修行をも積んで行く必要があると思う。ここは引き続き考え、深めて行かねばならない。と思う。
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5 コメント

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今日の昼食~手技療法術に関わるココロは如何にあるべきか~ (自由びと)
2015-11-22 09:44:41

お久しぶりです~青龍さん

毎回~読んではいるのですが…
かなり専門的なコト・言葉が多くてには難解です。

でも~今回の記述は非常に分かり易く、感じ入るモノがありました。

一般的に言って~仕事は誰の為、
それは自分の生活の為、そして相手の生活の為。
自分の喜びと相手の喜び、自分の幸せと相手の幸せの為。
ブロ・自分の納得・満足とアマ・相手の満足・納得を求めて~

今回の定食屋は、自己の仕事に対しての反省ーー構造に即して考える事が、なされていない…のですね!

ただ…そんな定食屋が潰れずに存在し続ける事の理由も気になりますが…

青龍さんが、その定食屋に選んだ・入った動機・理由は?


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失敗を自らの糧に (青龍)
2015-11-22 14:29:26
 コメントありがとうございます。

 定食屋へ入ったのは、お目あっての店が昼休みで閉まっていたので、和食和食と探して、たまたま目に付いた。というところでしょうか。

 落ち目の定食屋の話をわざわざ取り上げたのは、失敗と思ったことは必ずプラスに転化するべし!との弁証法の教えを、とんでもない定食屋で不味い昼食を食べてしまったという失敗を自身の施術の上での反省とすることで、実践出来たと思ったからです。

 ブログの内容、専門的な言葉が多くて難解とのこと。最初は、気をつけていたつもりだったのですが、だんだんと慣れっこになっていって、配慮を欠いていたのだ。と反省させられます。ご指摘ありがとうございます。

 今後とも、よろしくお願いします。



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定食屋存続の理由 (青龍)
2015-11-22 14:34:37
 定食屋がどうして潰れないのか!?これは、私にも不思議で仕方がないことです。大阪は食い倒れの街の筈なのですが・・・・・・。
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今日の昼食~手技療法術に関わるココロは如何にあるべきか~ (自由びと)
2016-01-31 10:58:10


青龍さん

今年も宜しくお願いします。
(「あけましておめでとう」はチョッと遅いので止めました)

最近、更新が途絶えていますね…
その理由は、「ときめき」を求めて~ですか?!
それとも、お忙しい~ですか?!
それとも……ですか?

今まで、殆ど毎日更新だったのが、途絶えてしまうのは残念です。
弁証法は対立(物)の統一ですから~
「ときめく」から書く、と、「ときめく」事なくても書く、の統一なのでは?

後から、長い長い毎日の更新を眺めた時、その努力・結果に「ときめく」のでは!?
もっとも…青龍さんの事は言えない自由びと~ですが…

青龍さん~ガンバ!で~す!



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再開の告知 (青龍)
2016-01-31 17:49:57
コメントいただきありがとうございます。ご無沙汰しております。

長い中断の理由は、表向きには二つ。一つは、「新・頭脳の科学」の次に「統計学という名の魔法の杖」を読み返し始めると、「ここに説(解)かれることをしっかりと分かって、実践して行くことで、東洋医学如何に学ぶべきかの問題の、それのみか弁証法の、像が明確になっていくのではと思え、そちらの方に時間を割いた。

もう一つは、冬の新しい鍛錬?を始めて、少なくとも、それに慣れるまでは、しっかりと睡眠時間を取る必要があると思えた。という二点から、ブログの原稿を書くということは続けているのですが、更新の時間がなかなかに取れません。

加えて、「ときめき」を感じる記事を!とハードルを上げてしまったので、一層更新から遠ざかってしまった。という状況です。もちろん、裏的には個人的もろもろの事情もあるにはあるのですが・・・・・・。

とはいえ、やはり、書き続けることが自身のアタマの働きを幾らかでもまともにしてくれていた!との実感もあるので、このままズルズルと中断を続けるべきでは無いとの思いも強くありました。

そんな状態で、二月上旬の後期末試験終了とともにの再開を告知しようと思っていたところへの、自由びとさんのコメントですので、ありがたく受け止めて、このコメントへの返信をブログ再開の告知とさせていただきます。

追伸、後期末試験へ向けての東洋医学概論のまとめを、近々ブログにアップしますが、単なる授業のまとめですので・・・・・・。
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