MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

鍼灸・東洋医学を如何に学ぶか〜弁証法的ということの必須性〜

2017-05-11 14:23:54 | 鍼灸理論・東洋医学
鍼が効くとは如何なることなのか、と考えると、これまでの鍼灸・東洋医学の理論というものは、部分を部分としてしか見ないから、その部分の持つ意味すらが分からない、分からなかったのだと思える。

昨夜、帰りの電車で「筋・筋膜の繋がり」に着目しての鍼灸治療について考える中で、「鍼(と灸)が効く」ということが分からないのは、分かっていかない(いけない)のは、「人間にとっての治療とは何か」という大きな視点を持っての「鍼が効くとは如何なることなのか」を分かろうとしないから、であるということに気づいた。(と思えたので、早速にブログに書いた)

これにかかわって、『新・頭脳の科学(上・下)』(瀬江千史 菅野幸子著 現代社白鳳選書34)の「第三節 解剖学と生理学は統一して教えなければならない」で説かれることが、(解剖にしても生理にしても、生きて生活する人間の、と捉え返すのでなければ歪なものとなる……ということが)何事を考えるときにも共通の、普遍的な考えかた、ということだとも思えた。

そう考えていくと、鍼灸・東洋医学の問題も鍼灸・東洋医学としてだけ考えるのではダメで、東洋医学も西洋医学もともにそこに含まれるところの「医学の歴史」からの、でなければならないのだと……。

ここでの自身のイメージは、生命体にかかわるあらゆることが(それゆえ人間にかかわるあらゆることが)「生命の歴史」から解ける、でなければ解けない、ということであり、その根源となる考えかたとしての「弁証法」の必要性である。
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