『私の國語教室』(福田恆存著 文春文庫)を読んでいる。新仮名遣、新字体に大きな問題があった、あるのだということに二重に驚かされる。
旧字体=正体字というものに興味を持ち、何冊かの書を読む中で『私の國語教室』を手にした。
自身は、新仮名遣、新字体での教育を受けているのであるが、父の蔵書の学問書の多くが旧仮名遣、旧字体であったので、小学生の頃から、旧仮名遣、旧字体にはある程度馴染んでいたし、それらの書が学問(哲学、思想等)に関わるものであったこともあって、旧仮名遣、旧字体に対しての好ましいという感情、憧れがあった。
しかしながら、それらはすでに過去のものとの思いもあったので、真面目に取り組むことも無かった。
それが今回、改めて旧字体や旧仮名遣について興味を持ち、何冊かの書を読んでみると、旧仮名遣、旧字体→新仮名遣、新字体ということの問題の大きさに、そのことについての自身の無知に驚かされた。
また、一定数の新仮名遣、新字体→旧仮名遣、旧字体への復帰を目指す方々がおられるのにも驚かされた。
仮名遣、字体の問題は、日本の文化の問題である、と思えるだけに、しっかりと考えてみたい。
『私の國語教室』は、当然?旧仮名遣、旧字体で書かれているので、現代の方々には読み難いかもしれないが......少しでも興味ある方は是非に。
旧字体=正体字というものに興味を持ち、何冊かの書を読む中で『私の國語教室』を手にした。
自身は、新仮名遣、新字体での教育を受けているのであるが、父の蔵書の学問書の多くが旧仮名遣、旧字体であったので、小学生の頃から、旧仮名遣、旧字体にはある程度馴染んでいたし、それらの書が学問(哲学、思想等)に関わるものであったこともあって、旧仮名遣、旧字体に対しての好ましいという感情、憧れがあった。
しかしながら、それらはすでに過去のものとの思いもあったので、真面目に取り組むことも無かった。
それが今回、改めて旧字体や旧仮名遣について興味を持ち、何冊かの書を読んでみると、旧仮名遣、旧字体→新仮名遣、新字体ということの問題の大きさに、そのことについての自身の無知に驚かされた。
また、一定数の新仮名遣、新字体→旧仮名遣、旧字体への復帰を目指す方々がおられるのにも驚かされた。
仮名遣、字体の問題は、日本の文化の問題である、と思えるだけに、しっかりと考えてみたい。
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