「陰陽論・五行論」について、それは東洋医学にとっての弁証法ではないのか、哲学の誕生に弁証法が必須であったが如くに(ここに興味のあるかたは南郷先生の著作、『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二卷』あるいは『哲学・論理学原論〔新世紀編〕』(ともに現代社刊)をお読みいただければと思う)、「陰陽論・五行論」の誕生・存在は東洋医学の誕生にとって必須のことであったのではないのか、との思いがある。
そうであるだけに、東洋医学を学ぶ上において、また実践していく上において、「陰陽論・五行論」は大切なものとの思いがある、しかしながら一方で、現代においては「陰陽論・五行論」はその役目を終えているのではないのか?とも思えている。
さて、その「陰陽論・五行論」については、教科書である『新版 東洋医学概論』(医道の日本社)においてはもちろん、それ以外の東洋医学について説いてある書でも、程度の差こそあれ必ず説かれている、ようである。
そこで説かれることを、自分流に要約すれば、「「陰陽論・五行論」は、東洋医学にとっての弁証法である。つまり、哲学が弁証法によって誕生させられた(と南郷先生が説かれる)のと同じくに、東洋医学は「陰陽論・五行論」によって誕生させられた、と言って良いのではないのか。
具体的には、古代中国での東洋医学の誕生は、その時代までに集積されてきた医療実践の事実が膨大になっていくとともに、そのままでは、経験的に扱うだけでは、どうにもそれらの事実を扱えなくなっての、それらの事実を「陰陽論・五行論」によって解釈し、整理し、分類し、しつつの、その結果として誕生させられてきた東洋医学の原型、東洋医学へとなっていくものから、かつ「陰陽論・五行論」から、再度、医療実践の事実を捉え返し、また実践し、その結果の実践的事実を再度「陰陽論・五行論」と東洋医学になっていくもの、によって解釈し、整理し、分類し……という作業を、無限と言っていいほどに繰り返す中で、次第次第に東洋医学という物は形成されていった、のではと思える。
これは別言すれば(弁証法的に捉え返すならば)、医療実践と「陰陽論・五行論」の相互浸透であり、かつ誕生させられていっている東洋医学と医療実践との、また「陰陽論・五行論」との相互浸透でもある。そしてその三者の相互浸透(?)の結果としての何重もの量質転化としての東洋医学の誕生である。
それだけに、東洋医学を学ぶにあたっても、東洋医学を実践する(鍼灸治療、漢方治療等)にあたっても、「陰陽論・五行論」の学びは必須のものであり、その理解なくしては本当には東洋医学は分かり得ない(実践できない)ものである、と思える。」となる。
この見解は、歴史的に考えるならば正しい、と思えるしそれゆえの「陰陽論・五行論」の学びを!ということも理解できる。
しかしながら、それほどに大事な「陰陽論・五行論」の学びが、単なる形式にすぎず、例えば、「五行論」の学びといえば、「五行論とは、世界のあらゆるものを、極端にいえば森羅万象を、木・火・土・金・水という五つの性質に分けて、それらが相生、相克という形での運動をする、と考える。」という解説であり、「五行色体表」の暗記であり、その形式主義的な実践への適応である、「難経69難」による選穴でしかない、という現実は、「陰陽論・五行論」の本当の学びとは程遠く、言われる「大事性」とは単なる言葉の上だけのことでしかないのだ、と思える。
また、それに加えて、それ以上に、南郷先生によって、弁証法が弁証学として確立されてしまっている現在にあっては、「陰陽論・五行論」の学びというものは、文化遺産としてはともかくも、理論的、実践的な指針?としては、現実性を持ち得ないのでは無いのか、と思える。「陰陽論・五行論」を刻苦勉励して自身の認識の技として創り上げるよりは、弁証法(と認識論)の真剣な学びこそが、現代という時代に東洋医学・鍼灸を学ぶ者には求められるのでは無いか!?と思える。
そうであるだけに、東洋医学を学ぶ上において、また実践していく上において、「陰陽論・五行論」は大切なものとの思いがある、しかしながら一方で、現代においては「陰陽論・五行論」はその役目を終えているのではないのか?とも思えている。
さて、その「陰陽論・五行論」については、教科書である『新版 東洋医学概論』(医道の日本社)においてはもちろん、それ以外の東洋医学について説いてある書でも、程度の差こそあれ必ず説かれている、ようである。
そこで説かれることを、自分流に要約すれば、「「陰陽論・五行論」は、東洋医学にとっての弁証法である。つまり、哲学が弁証法によって誕生させられた(と南郷先生が説かれる)のと同じくに、東洋医学は「陰陽論・五行論」によって誕生させられた、と言って良いのではないのか。
具体的には、古代中国での東洋医学の誕生は、その時代までに集積されてきた医療実践の事実が膨大になっていくとともに、そのままでは、経験的に扱うだけでは、どうにもそれらの事実を扱えなくなっての、それらの事実を「陰陽論・五行論」によって解釈し、整理し、分類し、しつつの、その結果として誕生させられてきた東洋医学の原型、東洋医学へとなっていくものから、かつ「陰陽論・五行論」から、再度、医療実践の事実を捉え返し、また実践し、その結果の実践的事実を再度「陰陽論・五行論」と東洋医学になっていくもの、によって解釈し、整理し、分類し……という作業を、無限と言っていいほどに繰り返す中で、次第次第に東洋医学という物は形成されていった、のではと思える。
これは別言すれば(弁証法的に捉え返すならば)、医療実践と「陰陽論・五行論」の相互浸透であり、かつ誕生させられていっている東洋医学と医療実践との、また「陰陽論・五行論」との相互浸透でもある。そしてその三者の相互浸透(?)の結果としての何重もの量質転化としての東洋医学の誕生である。
それだけに、東洋医学を学ぶにあたっても、東洋医学を実践する(鍼灸治療、漢方治療等)にあたっても、「陰陽論・五行論」の学びは必須のものであり、その理解なくしては本当には東洋医学は分かり得ない(実践できない)ものである、と思える。」となる。
この見解は、歴史的に考えるならば正しい、と思えるしそれゆえの「陰陽論・五行論」の学びを!ということも理解できる。
しかしながら、それほどに大事な「陰陽論・五行論」の学びが、単なる形式にすぎず、例えば、「五行論」の学びといえば、「五行論とは、世界のあらゆるものを、極端にいえば森羅万象を、木・火・土・金・水という五つの性質に分けて、それらが相生、相克という形での運動をする、と考える。」という解説であり、「五行色体表」の暗記であり、その形式主義的な実践への適応である、「難経69難」による選穴でしかない、という現実は、「陰陽論・五行論」の本当の学びとは程遠く、言われる「大事性」とは単なる言葉の上だけのことでしかないのだ、と思える。
また、それに加えて、それ以上に、南郷先生によって、弁証法が弁証学として確立されてしまっている現在にあっては、「陰陽論・五行論」の学びというものは、文化遺産としてはともかくも、理論的、実践的な指針?としては、現実性を持ち得ないのでは無いのか、と思える。「陰陽論・五行論」を刻苦勉励して自身の認識の技として創り上げるよりは、弁証法(と認識論)の真剣な学びこそが、現代という時代に東洋医学・鍼灸を学ぶ者には求められるのでは無いか!?と思える。