漸くに「東洋医学の学びの総括」も本論にあたる部分を書き始められた、とホッと胸を撫で下ろしているのであるが、自身の書いたものを読み返して見ると、あれもこれも書き足りない、との思いとなっている、ので出来る限り補って、と思う。
「陰陽論・五行論」について書いたが、そもそも「陰陽論」とは何か、「五行論」とは何か、その両者はどういう関係があるのか、無いのか、また、古代中国において東洋医学が「陰陽論・五行論」の力で誕生させられたとしても、そもそも東洋医学は何の為に誕生させられたのか、別言すれば、古代中国の人々は何をしたかったのか、ということについては、是非に説いておかねばならない、と思う。
まず「陰陽論」から、「陰陽論」とは端的には、世界の運動の根源は何なのか?世界の運動は何故なのか?という問題への答えである、と思える。
それは、農耕民族である古代中国人の生活から誕生させられた、作物を育てるということの無限といっていい繰り返しの中から、昼と夜とか、日向と日陰とか、晴れと雨とか、暑さと寒さとか、乾燥と湿潤とか......等々の陰と陽(と表象レベルでは捉え返すことの出来る)矛盾が作物を育てる根源である......そこから、そのことを表象レベルで捉え返せる様になっていっての、「陰陽論」の萌芽形態の誕生であり、そこからさらに発展しての、世界を認識する方法としての、「陰陽論」へとなっていったのであると思える。
そうして誕生させられた「陰陽論」によって、人間が生きている事実、人間が病む事実、病んでいく事実を、陰と陽とで解釈し、整理し、分類し、していっての東洋医学の誕生へ、であると思える。
「陰陽論・五行論」について書いたが、そもそも「陰陽論」とは何か、「五行論」とは何か、その両者はどういう関係があるのか、無いのか、また、古代中国において東洋医学が「陰陽論・五行論」の力で誕生させられたとしても、そもそも東洋医学は何の為に誕生させられたのか、別言すれば、古代中国の人々は何をしたかったのか、ということについては、是非に説いておかねばならない、と思う。
まず「陰陽論」から、「陰陽論」とは端的には、世界の運動の根源は何なのか?世界の運動は何故なのか?という問題への答えである、と思える。
それは、農耕民族である古代中国人の生活から誕生させられた、作物を育てるということの無限といっていい繰り返しの中から、昼と夜とか、日向と日陰とか、晴れと雨とか、暑さと寒さとか、乾燥と湿潤とか......等々の陰と陽(と表象レベルでは捉え返すことの出来る)矛盾が作物を育てる根源である......そこから、そのことを表象レベルで捉え返せる様になっていっての、「陰陽論」の萌芽形態の誕生であり、そこからさらに発展しての、世界を認識する方法としての、「陰陽論」へとなっていったのであると思える。
そうして誕生させられた「陰陽論」によって、人間が生きている事実、人間が病む事実、病んでいく事実を、陰と陽とで解釈し、整理し、分類し、していっての東洋医学の誕生へ、であると思える。