東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

弁証術とはなにか~弁証術と弁証法の区別と連関~

2015-11-26 13:30:55 | 弁証術
「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻」(現代社)読み返している。弁証術とはなにか。弁証術とは弁証法にとって如何なる意義を持つのか、持たせるべきなのか。が、朧げながらではあるが、漸くにイメージ出来た。と思える。

また、そのことで、弁証法の過程的構造である。と思う、新旧二つの弁証法。ということも、イメージ出来て行けそうに思う。

昨日は、「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻」の第二部を読んだ。これまで、弁証法をなんとしてでも自身の実力としたい。そのためには、弁証法の姿形を、先ずは知識としてでも分かりたい、イメージしたい。との思いから、この「第二部」は何度か読み返し続けているのだが、説いて(解いて)いただいていることが、言葉としては、分かっていけるものの、説かれ(解かれ)ていること。への思いは、なかなかに深まって行かなかった。

ところが、である。昨日、「第二部」を読了して、「あれ?」「もしかしたらこういうこと?」との思いになっていった。

その思いとは、端的には、「弁証法と弁証術との関係性とは、武技と武道体、人間体との関係性と同じなのでは?」ということである。

本ブログは、鍼灸、手技療法術に関わってのことが主であるので、その例でいえば、「指圧技と指圧体、人間体との関係性と同じ」なのでは?との思いになっていった。ということである。

詳細は、しっかりと実践を積み重ねて、改めて。と思う。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昨日の経絡経穴概論、今日の... | トップ | 「旧・東概」の、新たなまとめかた~... »
最新の画像もっと見る