「旧・東概」のまとめ、の方向転換について。
これまでは、「筆者は何を言いたいのか?」ということをしっかりと押さえておきたい。との思いから、「旧・東概」を、書かれている言葉をしっかりと追っていくことでまとめていくというのが主で、「こういうことを言いたいのではなかろうか?」という部分については、コメント的に、従的に書いた。つもりである。
が、今後は、「筆者は何を言いたいのか?」は、もちろん押さえておくべきだとは思うが、筆者が言おうとして言えない部分にも迫っていければと思う。端的には、「あれこれ述べられているが、要はこういうことである!」という形でも、まとめていければと思う。
ただ、以上の作業は、認識論の実力がなければ、まともには成し得ないのだとも思う。
しかしながら、躊躇ばかりしていたのでは、何の発展も持ち得ない。「άνερίφθω κύβος.(賽を投げろ)」(ギリシア・ローマ名言集 柳沼重剛編)と叫んで、ルビコン川を渡った、カエサルの決断力そのままに!でありたい。と思う。
これまでは、「筆者は何を言いたいのか?」ということをしっかりと押さえておきたい。との思いから、「旧・東概」を、書かれている言葉をしっかりと追っていくことでまとめていくというのが主で、「こういうことを言いたいのではなかろうか?」という部分については、コメント的に、従的に書いた。つもりである。
が、今後は、「筆者は何を言いたいのか?」は、もちろん押さえておくべきだとは思うが、筆者が言おうとして言えない部分にも迫っていければと思う。端的には、「あれこれ述べられているが、要はこういうことである!」という形でも、まとめていければと思う。
ただ、以上の作業は、認識論の実力がなければ、まともには成し得ないのだとも思う。
しかしながら、躊躇ばかりしていたのでは、何の発展も持ち得ない。「άνερίφθω κύβος.(賽を投げろ)」(ギリシア・ローマ名言集 柳沼重剛編)と叫んで、ルビコン川を渡った、カエサルの決断力そのままに!でありたい。と思う。