今夏は暑い日が続いたので自身には飲酒の習慣は無いのであるが、帰宅後にビールを飲むということがこの何日か続いている。そのビールにも様々な種類、製法、原材料がある様でそれぞれに違った味わいを持っている、と思えたので、ネットで少し調べてみた。(内容の是非はともかく、何についてもすぐに調べてみることの出来るのがネットのメリット……それが同時にデメリットでもあるとは思うが……)
中でも驚かされたのが、「麦芽100%」というのが高級なビールの代名詞の様に宣伝されていて、自身でもすっかりそうであると信じていたのだが、麦芽自体の原材料コストは米やコーンスターチよりも随分と安いということ、であった。また、ビールの原材料はほとんどが輸入されたもので、国産ビールはあっても国産原材料ビールはほとんど存在しない、ということであった。人間というものは、その中身を知らずにイメージだけでものごとを判断しているのだということ、それだけに自身の専門にかかわる物事については、しっかりとその中身を識っていかねばならないのだと、ビールに関わる事実を知ることで、思えた。
さて、本日のお題の「医療面接」というものも、分かっているようで分かっていないものの一つであると思える。その原因を考えてみると一つには、問診と医療面接の区別と連関が理解されていない、医療面接と問診はどう違っていて、どう同じなのかが分かっていない、にも関わらず両者を一緒くたにしてしまっていてそれで分かったつもりになっているということがある、そしてその区別と連関を分かっていくためには、医療面接の原点から辿ってみることが必要である、と思える。
「医療面接」という言葉は、近ごろよく聞くようになったものであり、問診が医療者(医師?)が一方的に診断のための事実を知るために患者に質問していくものであるのに対して、医療面接は診断よりも、医療者が患者とコミュニュケーションのプロセス(問診的な?)を持つことで良好な人間関係を築くという作業である、と自身では、鍼灸学校では学んだことを理解している、また、ネットで調べてみても同様の定義が述べられていた。
では、そもそもの「医療面接」の原点は何なんだろうか?どのような目的で誕生させられたのだろうか?と考えると、二つのことが想起される。一つは、西洋医学の医師の問題として、もう一つは東洋医学の医師(法的には医療者?)の問題としてである。
(この項続く)
中でも驚かされたのが、「麦芽100%」というのが高級なビールの代名詞の様に宣伝されていて、自身でもすっかりそうであると信じていたのだが、麦芽自体の原材料コストは米やコーンスターチよりも随分と安いということ、であった。また、ビールの原材料はほとんどが輸入されたもので、国産ビールはあっても国産原材料ビールはほとんど存在しない、ということであった。人間というものは、その中身を知らずにイメージだけでものごとを判断しているのだということ、それだけに自身の専門にかかわる物事については、しっかりとその中身を識っていかねばならないのだと、ビールに関わる事実を知ることで、思えた。
さて、本日のお題の「医療面接」というものも、分かっているようで分かっていないものの一つであると思える。その原因を考えてみると一つには、問診と医療面接の区別と連関が理解されていない、医療面接と問診はどう違っていて、どう同じなのかが分かっていない、にも関わらず両者を一緒くたにしてしまっていてそれで分かったつもりになっているということがある、そしてその区別と連関を分かっていくためには、医療面接の原点から辿ってみることが必要である、と思える。
「医療面接」という言葉は、近ごろよく聞くようになったものであり、問診が医療者(医師?)が一方的に診断のための事実を知るために患者に質問していくものであるのに対して、医療面接は診断よりも、医療者が患者とコミュニュケーションのプロセス(問診的な?)を持つことで良好な人間関係を築くという作業である、と自身では、鍼灸学校では学んだことを理解している、また、ネットで調べてみても同様の定義が述べられていた。
では、そもそもの「医療面接」の原点は何なんだろうか?どのような目的で誕生させられたのだろうか?と考えると、二つのことが想起される。一つは、西洋医学の医師の問題として、もう一つは東洋医学の医師(法的には医療者?)の問題としてである。
(この項続く)