ホルネル症候群について調べた。認識というものは、問いかけ的反映である、ということ実感する。
眼瞼下垂をきたす病として、重症筋無力症、動眼神経麻痺、ホルネル症候群等がある。過去問では良くお目にかかる病名であるので、それらについて調べたのだが、その中で「ホルネル症候群」の別名が「クロード・ベルナール・ホルネル症候群」であるということを知った。
「ホルネル症候群」とはC8〜TH2の交感神経が腫瘍等で圧迫されることで起こる、縮瞳、眼瞼下垂(眼裂狭小)、眼球陥凹等の症状をいうもの、であるが、例の如くに丸暗記の苦手な自身は何度も過去問で出てくる、例えばホルネル症候群単独で問題となるだけでは無しに食道癌に関わって起こって来る症状としても問題となる、というように度々出題されている(国家試験はカタカナが好き、とも教員から教わった)のにもかかわらず、一向に覚えることが出来ないというか覚える気が無かった。
しかしながら、数日後に鍼灸国家試験を控えている現在、丸暗記は嫌い、とすましている訳にもいかず改めてネットで「ホルネル症候群」を調べてみた。
そこで知ったのが、「ホルネル症候群」=「クロード・ベルナール・ホルネル症候群」(ホルネル症候群に名を止めるホルネル以前にクロード・ベルナールがウサギの頚部交感神経を切断する実験を行ない耳が暖かくなって毛細血管が拡張しているということを発見している)ということである。
「そうか!ホルネル症候群って(尊敬する)クロード・ベルナールの発見か!」と思うと、これまでどうしても覚えることが出来なかった、覚える気が無かった「ホルネル症候群」、すんなりと覚えることが出来てしまった。
まさに、認識は問いかけ的反映であると......ともに、人間というものは、本当に感情的存在なのだと、物事を学ぶ上で、それ以外にもであるが、の自身の感情をコントロールすることの大事性が痛感される(ここは改めて説きたい)
クロード・ベルナールは鍼灸学校の教科書にも登場するが、「身体の恒常性を発見した」という程度に軽く触れられているくらいであった、と思う。
しかしながら、本当は史上初レベルの発見をいくつも成し遂げた凄い人物!である。医学、医術に関わる人間の一般教養としても、著作の一冊くらいは......と思う。
眼瞼下垂をきたす病として、重症筋無力症、動眼神経麻痺、ホルネル症候群等がある。過去問では良くお目にかかる病名であるので、それらについて調べたのだが、その中で「ホルネル症候群」の別名が「クロード・ベルナール・ホルネル症候群」であるということを知った。
「ホルネル症候群」とはC8〜TH2の交感神経が腫瘍等で圧迫されることで起こる、縮瞳、眼瞼下垂(眼裂狭小)、眼球陥凹等の症状をいうもの、であるが、例の如くに丸暗記の苦手な自身は何度も過去問で出てくる、例えばホルネル症候群単独で問題となるだけでは無しに食道癌に関わって起こって来る症状としても問題となる、というように度々出題されている(国家試験はカタカナが好き、とも教員から教わった)のにもかかわらず、一向に覚えることが出来ないというか覚える気が無かった。
しかしながら、数日後に鍼灸国家試験を控えている現在、丸暗記は嫌い、とすましている訳にもいかず改めてネットで「ホルネル症候群」を調べてみた。
そこで知ったのが、「ホルネル症候群」=「クロード・ベルナール・ホルネル症候群」(ホルネル症候群に名を止めるホルネル以前にクロード・ベルナールがウサギの頚部交感神経を切断する実験を行ない耳が暖かくなって毛細血管が拡張しているということを発見している)ということである。
「そうか!ホルネル症候群って(尊敬する)クロード・ベルナールの発見か!」と思うと、これまでどうしても覚えることが出来なかった、覚える気が無かった「ホルネル症候群」、すんなりと覚えることが出来てしまった。
まさに、認識は問いかけ的反映であると......ともに、人間というものは、本当に感情的存在なのだと、物事を学ぶ上で、それ以外にもであるが、の自身の感情をコントロールすることの大事性が痛感される(ここは改めて説きたい)
実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1) | |
三浦 岱栄 | |
岩波書店 |
しかしながら、本当は史上初レベルの発見をいくつも成し遂げた凄い人物!である。医学、医術に関わる人間の一般教養としても、著作の一冊くらいは......と思う。
【自身が鍼灸師になって、鍼灸師の先生方とそれなりの交流を持つようになって感じることに、先生方の一般教養の薄さである。
東洋医学・鍼灸に関わってはそれなりの教養をお持ちの先生方も、それ以外は素人同然、テレビレベルの知識の豊富さを誇られるのでは......それはそれで一定数の患者と同じ低度なので話が弾んで、営業上は結構なことなのですが(これは皮肉である)、それなりの一般教養のレベルの患者からすれば、勉強会が、とか学会がと自己承認欲求丸出しでアピールしてみても......と常々思っています。
卒後は、鍼灸・東洋医学の学びに忙しく、一般教養どころかでは無い、というのもよく分かるのですが.......それだけに、鍼灸学校時代に、一般教養の学びをぜひに、と思います。
鍼灸師になってから数年は、その忙しさは学生時代の比ではないですから......せめて、『学生に与う』(河合栄治郎著)くらいは、学生時代の早い時期に、と思う。】