長谷川式メンタルトレーニングの講義受けた。理論的な研鑽とともに術の極めの必要性痛感した。
夏季集中講義で、長谷川式メンタルトレーニングの講義90分×4コマ受けた。
最初の一コマは講義のみで、後の3コマは実際に様々なメンタルトレーニングを体験しつつの講義であった。
講義自体は、記憶がDNAに組み込まれる。とか、感情はホルモンの働き。だとか、運動のパフォーマンス=身体能力/精神的抵抗×身体的抵抗という方程式だとかの、自身からすれば怪しげな解説の連続であり、よくもこんな適当な論でやって来れたものだ!?と呆れてしまった。
ところが、実際にメンタルトレーニングを体験するとその効果実感出来て、「?」との思いとともに、それまで嘘、出鱈目と思った講義の内容が、もしかしたら、、、と思えて来た。
これは、「論より証拠」の諺に見るまでもなく、実際に自身の認識と実体で経験したことの像は、言葉による像よりも強烈であるだけに、人間の認識を変える力があるのだという事だと思える。
またこのことは、ある意味鍼灸の理論と術との関係の問題でもあると思う。どういう事かと言えば、如何に理論で立派なことを述べても、患者を治せなければ、空理空論であっても患者を治せる術を持った者に、「だって、患者を治せないでしょう!」と反論されたら一言も無いという事になってしまうこととつながった。
そう考えると、科学的鍼灸論の構築とともにの、達人レベルの鍼灸術の修得が二重の意味で必要であるとの思いとなった。
夏季集中講義で、長谷川式メンタルトレーニングの講義90分×4コマ受けた。
最初の一コマは講義のみで、後の3コマは実際に様々なメンタルトレーニングを体験しつつの講義であった。
講義自体は、記憶がDNAに組み込まれる。とか、感情はホルモンの働き。だとか、運動のパフォーマンス=身体能力/精神的抵抗×身体的抵抗という方程式だとかの、自身からすれば怪しげな解説の連続であり、よくもこんな適当な論でやって来れたものだ!?と呆れてしまった。
ところが、実際にメンタルトレーニングを体験するとその効果実感出来て、「?」との思いとともに、それまで嘘、出鱈目と思った講義の内容が、もしかしたら、、、と思えて来た。
これは、「論より証拠」の諺に見るまでもなく、実際に自身の認識と実体で経験したことの像は、言葉による像よりも強烈であるだけに、人間の認識を変える力があるのだという事だと思える。
またこのことは、ある意味鍼灸の理論と術との関係の問題でもあると思う。どういう事かと言えば、如何に理論で立派なことを述べても、患者を治せなければ、空理空論であっても患者を治せる術を持った者に、「だって、患者を治せないでしょう!」と反論されたら一言も無いという事になってしまうこととつながった。
そう考えると、科学的鍼灸論の構築とともにの、達人レベルの鍼灸術の修得が二重の意味で必要であるとの思いとなった。
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