八綱病証における陰陽の意味、意義について質問した。陰陽の、気の、東洋医学における実態性のイメージが描けた。と思える。
「八綱病証においての陰陽の意味がよくわからない。例えば、陽の病証の症候として、『活気がある。言葉が多い。手足を伸ばす。』ともあるが、これは、陰の病証の『活気がない。言葉が少ない。手足を縮める。』とあるのの逆を言ってるだけではないのか?これが病の症候と言えるのか?これらは、病の症候というより、身体の良い状態、健康な状態の症候?というべきでは無いのか?」
「別言すれば、八綱病証の実態は、表裏、寒熱、虚実であって、陰陽は必要無いのでは?(陰陽論を使いたいが為に無理矢理、陰陽で最後にまとめてみただけで、いわば作文では無いのか?」と問うた。
先生答えて曰く、「ここで言う陰陽の症候は、それらが過剰である。ということ。例えば、『言葉が多い』では、喋り過ぎる。と思って貰えれば良い。また、この場合の陰陽は、病気の症候と言うよりも、その人の体質であると思って貰っても良いと思う。」
「表裏、寒熱、虚実と捉えたものを陰陽と捉え返しているのでは無く、表裏も陰陽、寒熱も陰陽、虚実も陰陽であって、すべてが陰陽なのだ。陰陽論とは、そういうものなのだ。」と。
東洋医学の先生より問いていただいた、「表裏、寒熱、虚実と捉えたものを陰陽と捉え返しているのでは無く、表裏も陰陽、寒熱も陰陽、虚実も陰陽であって、すべてが陰陽なのだ。」ということ。
「陰陽論で統括するとは、そういうことなのだ!」と、東洋医学における陰陽論の実態性がはじめて納得レベルでイメージできたと思えた。それに比して、自身の陰陽論のイメージは、あまりにも形式的であったと、実力不足痛感させられた。
また、このことは南郷先生が説いてくださっているヘーゲル哲学における「絶対精神」の実態性との相似性を感じる。改めて考えて、再度説きたいと思う。
「八綱病証においての陰陽の意味がよくわからない。例えば、陽の病証の症候として、『活気がある。言葉が多い。手足を伸ばす。』ともあるが、これは、陰の病証の『活気がない。言葉が少ない。手足を縮める。』とあるのの逆を言ってるだけではないのか?これが病の症候と言えるのか?これらは、病の症候というより、身体の良い状態、健康な状態の症候?というべきでは無いのか?」
「別言すれば、八綱病証の実態は、表裏、寒熱、虚実であって、陰陽は必要無いのでは?(陰陽論を使いたいが為に無理矢理、陰陽で最後にまとめてみただけで、いわば作文では無いのか?」と問うた。
先生答えて曰く、「ここで言う陰陽の症候は、それらが過剰である。ということ。例えば、『言葉が多い』では、喋り過ぎる。と思って貰えれば良い。また、この場合の陰陽は、病気の症候と言うよりも、その人の体質であると思って貰っても良いと思う。」
「表裏、寒熱、虚実と捉えたものを陰陽と捉え返しているのでは無く、表裏も陰陽、寒熱も陰陽、虚実も陰陽であって、すべてが陰陽なのだ。陰陽論とは、そういうものなのだ。」と。
東洋医学の先生より問いていただいた、「表裏、寒熱、虚実と捉えたものを陰陽と捉え返しているのでは無く、表裏も陰陽、寒熱も陰陽、虚実も陰陽であって、すべてが陰陽なのだ。」ということ。
「陰陽論で統括するとは、そういうことなのだ!」と、東洋医学における陰陽論の実態性がはじめて納得レベルでイメージできたと思えた。それに比して、自身の陰陽論のイメージは、あまりにも形式的であったと、実力不足痛感させられた。
また、このことは南郷先生が説いてくださっているヘーゲル哲学における「絶対精神」の実態性との相似性を感じる。改めて考えて、再度説きたいと思う。