「1.東洋医学の起源と発展」の項では、「黄帝内経」の成立=東洋医学の体系の成立=<東洋医学>の成立と捉えての、<東洋医学>へと成っていくものが説かれている。
その、<東洋医学>へと成っていく思想や原始医術を生み出した根源として、数万年来の定着農耕生活=農耕文化の存在が指摘される。
例えば、「気の思想」も、古代の人々が抽象的に世界の根源を「気」と考えた。で済ますのではなくて、その原点を農耕生活に求め、農耕生活にとって、何よりも大事な作物の成長、成熟、実りを決定的に左右する四季の天候。そのそれぞれの働き、例えば、春の風、夏の暑さ、秋の乾燥、冬の寒さを「四気」として捉え、その気の働きの影響で、生命活動は営まれているという事実を、数万年もの長きに亘って見、その自然の中で生き、農耕を続ける中での、万物の根源は「気」であるとの思想が生まれたのだ。と説かれる。そう説いてもらえると、「気の思想」も、抵抗なく納得レベルで受け取ることができるし、「天人合一思想」「天地人三才思想」「整体観念」等々も、農耕文化の産物と考えると納得レベルで受け取れる。(これらの思想を生み出したものとして、春秋戦国時代から中華統一国家としての秦の成立という社会背景も大きく関わっていると思えるのだが、それはまたの機会にとしたいと思う。)
「旧・東洋医学概論」では、このような、<東洋医学>をその根源から説こうとする姿勢が随所に見られるが、それは、この教科書の美点の一つであると思える。
これは、おそらくは以前に指摘したマルクス主義の影響もさることながら、「哲学以前」(出隆)の影響が大きいのではと思える。
この「旧・東洋医学概論」を編纂された先生方が、鍼灸の国家資格化を重く受け止め(「編者序」に見られるように)、鍼灸文化の一層の発展とともにそれが国民の要請に応え、受け入れられていくことを願っての、それまでの鍼灸・東洋医学の文化遺産の集大成としての最高の教科書を!との熱き思いで取り組まれたがゆえにの、文化の最高峰である哲学のあり方に学ぼうとされての「哲学以前」(出隆)への学びなのだと思える。
「旧・東洋医学概論」を編纂された先生方の熱意・野望に負けぬように自身も、本書に、また鍼灸・東洋医学の文化遺産に学んでいかねばと思う。
「四気」が長(夏)から収(秋)へと変わって行くのに従って、その「気」を受けて稲穂も、、、。
その、<東洋医学>へと成っていく思想や原始医術を生み出した根源として、数万年来の定着農耕生活=農耕文化の存在が指摘される。
例えば、「気の思想」も、古代の人々が抽象的に世界の根源を「気」と考えた。で済ますのではなくて、その原点を農耕生活に求め、農耕生活にとって、何よりも大事な作物の成長、成熟、実りを決定的に左右する四季の天候。そのそれぞれの働き、例えば、春の風、夏の暑さ、秋の乾燥、冬の寒さを「四気」として捉え、その気の働きの影響で、生命活動は営まれているという事実を、数万年もの長きに亘って見、その自然の中で生き、農耕を続ける中での、万物の根源は「気」であるとの思想が生まれたのだ。と説かれる。そう説いてもらえると、「気の思想」も、抵抗なく納得レベルで受け取ることができるし、「天人合一思想」「天地人三才思想」「整体観念」等々も、農耕文化の産物と考えると納得レベルで受け取れる。(これらの思想を生み出したものとして、春秋戦国時代から中華統一国家としての秦の成立という社会背景も大きく関わっていると思えるのだが、それはまたの機会にとしたいと思う。)
「旧・東洋医学概論」では、このような、<東洋医学>をその根源から説こうとする姿勢が随所に見られるが、それは、この教科書の美点の一つであると思える。
これは、おそらくは以前に指摘したマルクス主義の影響もさることながら、「哲学以前」(出隆)の影響が大きいのではと思える。
この「旧・東洋医学概論」を編纂された先生方が、鍼灸の国家資格化を重く受け止め(「編者序」に見られるように)、鍼灸文化の一層の発展とともにそれが国民の要請に応え、受け入れられていくことを願っての、それまでの鍼灸・東洋医学の文化遺産の集大成としての最高の教科書を!との熱き思いで取り組まれたがゆえにの、文化の最高峰である哲学のあり方に学ぼうとされての「哲学以前」(出隆)への学びなのだと思える。
「旧・東洋医学概論」を編纂された先生方の熱意・野望に負けぬように自身も、本書に、また鍼灸・東洋医学の文化遺産に学んでいかねばと思う。
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