医古文に関わる自身の像をまとめておく。
先日の医古文読書会、2度目の参加で漸くにして、左合先生の医古文に関わる像が朧げながら視えてきたと思える。
それとともに、その像を自身の医古文の像と重ねることで、自身の医古文の像も明確になってきたと思える。
先日の医古文読書会。会場に行くと既に左合先生が来られていて、経絡経穴について質問させていただいた。
端的には、南郷先生から学んだ。つもりの、人間体が四足体と二足体との矛盾、相克を持つが故に、かつ、その相克を内に持つ人間体が(で?)、しっかりと労働することによって経絡経穴が誕生して来た。との経絡経穴の捉えの成否?を問うた。
これに対しては、人間体の陰陽を四足の状態で決めたりということがある。として原穴についてご教示いただいた。
医古文を読むのに、当初から一字一字を辞典で調べるのではなく、先ずは漢文を読んで、大体こんなことを言っているのでは無いのか?というところをイメージして、我々日本人は漢字の素養があるから中国語が分からなくてもある程度は分かる筈、その上で、その漢字の意味が分からないと漢文の意味が分からないという漢字を辞典で調べる。方が良いとご教示いただいた。
読書会(針灸甲乙経)が始まり、「黄帝三部針灸甲乙經新校 卷之二 奇經八脈第二」を読み解いていかれた。
句読点の位置によって、文章の意味がまったく違ってしまう。ということご教示いただいた。
それに対して、そもそも素問霊枢等の医古文に句読点があるのか?と問うたところ、本来は無いから、かつ場合によっては句読点の位置で、文章の意味が大きく違ってくるので、医古文の世界ではどこに句読点を打つのかが問題となってくる。とご教示いただいた。
漢字について。例えば、「見」と「視」では意味が違う。「見」は外形を見るだが、「視」はしっかりと見るである。当然に文章の意味も違ってくる。
字が違う場合、その音が同じだからと、例えば、「少」と「小」を区別しないで使っている場合等もあるが、すべてがそうとは限らない。
そういう違いは、いくら辞典をひいても分からない。文章全体を、筆者が何を言いたいのか?がイメージ出来て、はじめて分かっていける問題である。
それ以外にも、様々説いていただいたのだが、その展開を追いきれず、今、思い出そうとしても明確に記憶に残っていない。
以上を要するに、医古文の学びは、端的には、著者が一体何を言いたいのか?をイメージすることであり、そのための句読点の違いや一字一字の漢字の意味の違いの考察である。という事だと思う。
また、医古文の著者のイメージとは、昔日の鍼灸の名人、達人のイメージであり、それを分かって行くことで、東洋医学の体系を構築して行く一助とすることが、医古文の学びの意義である。と示唆いただいているのだと思える。
医古文について、左合先生にご教示いただいたことの全体を振り返り概括して見ると、そこに求められるものは、認識論である。
左合先生と他の先生方との違い、実力の違いは、左合先生は「想像力」と表現されるが、その中身は医古文筆者の認識を想像して読み取る実力の違いであり、端的には、認識論的な実力の違いなのだ。とも思えた。
先日の医古文読書会、2度目の参加で漸くにして、左合先生の医古文に関わる像が朧げながら視えてきたと思える。
それとともに、その像を自身の医古文の像と重ねることで、自身の医古文の像も明確になってきたと思える。
先日の医古文読書会。会場に行くと既に左合先生が来られていて、経絡経穴について質問させていただいた。
端的には、南郷先生から学んだ。つもりの、人間体が四足体と二足体との矛盾、相克を持つが故に、かつ、その相克を内に持つ人間体が(で?)、しっかりと労働することによって経絡経穴が誕生して来た。との経絡経穴の捉えの成否?を問うた。
これに対しては、人間体の陰陽を四足の状態で決めたりということがある。として原穴についてご教示いただいた。
医古文を読むのに、当初から一字一字を辞典で調べるのではなく、先ずは漢文を読んで、大体こんなことを言っているのでは無いのか?というところをイメージして、我々日本人は漢字の素養があるから中国語が分からなくてもある程度は分かる筈、その上で、その漢字の意味が分からないと漢文の意味が分からないという漢字を辞典で調べる。方が良いとご教示いただいた。
読書会(針灸甲乙経)が始まり、「黄帝三部針灸甲乙經新校 卷之二 奇經八脈第二」を読み解いていかれた。
句読点の位置によって、文章の意味がまったく違ってしまう。ということご教示いただいた。
それに対して、そもそも素問霊枢等の医古文に句読点があるのか?と問うたところ、本来は無いから、かつ場合によっては句読点の位置で、文章の意味が大きく違ってくるので、医古文の世界ではどこに句読点を打つのかが問題となってくる。とご教示いただいた。
漢字について。例えば、「見」と「視」では意味が違う。「見」は外形を見るだが、「視」はしっかりと見るである。当然に文章の意味も違ってくる。
字が違う場合、その音が同じだからと、例えば、「少」と「小」を区別しないで使っている場合等もあるが、すべてがそうとは限らない。
そういう違いは、いくら辞典をひいても分からない。文章全体を、筆者が何を言いたいのか?がイメージ出来て、はじめて分かっていける問題である。
それ以外にも、様々説いていただいたのだが、その展開を追いきれず、今、思い出そうとしても明確に記憶に残っていない。
以上を要するに、医古文の学びは、端的には、著者が一体何を言いたいのか?をイメージすることであり、そのための句読点の違いや一字一字の漢字の意味の違いの考察である。という事だと思う。
また、医古文の著者のイメージとは、昔日の鍼灸の名人、達人のイメージであり、それを分かって行くことで、東洋医学の体系を構築して行く一助とすることが、医古文の学びの意義である。と示唆いただいているのだと思える。
医古文について、左合先生にご教示いただいたことの全体を振り返り概括して見ると、そこに求められるものは、認識論である。
左合先生と他の先生方との違い、実力の違いは、左合先生は「想像力」と表現されるが、その中身は医古文筆者の認識を想像して読み取る実力の違いであり、端的には、認識論的な実力の違いなのだ。とも思えた。