『源氏物語の謎』(藤本泉著 祥伝社)読んだ。その謎解きに、さすが推理小説作家と思わされる。
『源氏物語の謎』では、『源氏物語』の作者が複数存在する、かつその作者の中に紫式部が存在しなかったであろうことが謎解きされている。のであるが、この書を読みだして想起したのが『黄帝内経』が幾つかの医術の流派の論文集とでもいうべきものとされている、ということである。
『黄帝内経』を複数の著者の論文集である、とする考えは鍼灸の世界では一般的であるようだが、自身の知見の範囲の主張に限るならば、「そんなに簡単に断定してしまっていいのだろうか?」との思いがあった。
その思いが、『源氏物語の謎』で展開されている藤本泉氏の謎解きを読んで、その主張する推理を証明していく手続きのありかたに、次第次第に強くなっていった。これには、鹿島曻、八切止夫両氏の著作を読んでの、歴史的事実とされているものへの疑問ということもあったのであるが……ともかく、『黄帝内経』で説かれることは、初心者でもない限り、まずは自身の実践でキッチリと検討してしかるべきなのではないかと思う。
「善竊謂・・以地之十二水、合人之十二經、固荒宕乖違、其義迂闊。雖經文所載、概讀而可耳。而注家一一以理推究、悉出臆揣、今姑存大略焉。夫恣誇己意不曾顧他者、西土人之常也。故妄以人身之經絡、強合其國之水脉、則天下各國之人亦可以各國之水脉合之乎?是必無之理也。譬猶以天之二十八宿、強配己國之分野、則舉天下諸國可以何星配之乎?決無其理、可不待言而知矣。西土人之自古至今、褊見執強自負忘他、不堪一笑者比比而存、豈特此乎?」(渋江抽斎著 『靈樞講義 』経水第十二)
と、渋江抽斎先生も謂れているのであるから……。(ここは、以前にブログで取り上げているので、興味のあるかたは、2015/09/29 の記事を参照いただければ、と思う。)
『源氏物語の謎』では、『源氏物語』の作者が複数存在する、かつその作者の中に紫式部が存在しなかったであろうことが謎解きされている。のであるが、この書を読みだして想起したのが『黄帝内経』が幾つかの医術の流派の論文集とでもいうべきものとされている、ということである。
『黄帝内経』を複数の著者の論文集である、とする考えは鍼灸の世界では一般的であるようだが、自身の知見の範囲の主張に限るならば、「そんなに簡単に断定してしまっていいのだろうか?」との思いがあった。
その思いが、『源氏物語の謎』で展開されている藤本泉氏の謎解きを読んで、その主張する推理を証明していく手続きのありかたに、次第次第に強くなっていった。これには、鹿島曻、八切止夫両氏の著作を読んでの、歴史的事実とされているものへの疑問ということもあったのであるが……ともかく、『黄帝内経』で説かれることは、初心者でもない限り、まずは自身の実践でキッチリと検討してしかるべきなのではないかと思う。
「善竊謂・・以地之十二水、合人之十二經、固荒宕乖違、其義迂闊。雖經文所載、概讀而可耳。而注家一一以理推究、悉出臆揣、今姑存大略焉。夫恣誇己意不曾顧他者、西土人之常也。故妄以人身之經絡、強合其國之水脉、則天下各國之人亦可以各國之水脉合之乎?是必無之理也。譬猶以天之二十八宿、強配己國之分野、則舉天下諸國可以何星配之乎?決無其理、可不待言而知矣。西土人之自古至今、褊見執強自負忘他、不堪一笑者比比而存、豈特此乎?」(渋江抽斎著 『靈樞講義 』経水第十二)
と、渋江抽斎先生も謂れているのであるから……。(ここは、以前にブログで取り上げているので、興味のあるかたは、2015/09/29 の記事を参照いただければ、と思う。)