東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

脈診とは診断の技である〜全ては疑いうる〜

2019-05-07 08:39:17 | 覚え書
ゴールデンウィークの間、脈診を弁証法性でとらえ返す、書くということ行った。

自身のアタマの働き、働かせかたが、結局は脈診の事細かな事実とそれに関わる思いに引きずられて、堂々巡りを繰り返し尻切れ蜻蛉になってしまって、迷路に入り込んで迷いに迷って、の感があった。

その中で想起されたのが、「たたらを踏むことの致命的欠陥」として「隙」について南郷先生が説かれていることであった。

端的には、闘うのに必要なこと、必須のことを素直に行なえば良いのに、余計な動き、実体としても認識としても、をしてしまうから、それが隙となって、負けるのだ、ということ、と自身は理解している、ことが想起されて、これは自身の文章を書くこと、のみならず手技療法の施術(鍼灸を含んでの広義の)、あるいは人生の......と反省された。

そのように考えると、脈診を考えるのにも、脈診とは診断の一つであり、それはとりも直さず治療、施術のためのもの、ということから、その目的からとらえ返さねばならない。

なぜか、脈診とて人類が何らかの目的を持って誕生させたものなのであるから、との思いへとなっていって......。

そのような観点から、脈診、六部定位脈差診を改めて説いてみたい。
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