東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

『素問』について〜古典から何を学ぶか〜

2019-05-13 08:45:45 | 覚え書
『素問』(小曽戸丈夫訳 たにぐち書店)を読み返している。

最初の数篇では、健康に生きていくためにの養生=生活過程を整えることの大事性、そしてそれはまず天地の気(四季の変化)に合わせてのでなければならないと、そのことの大事性が説かれる。

一般論としてはこれは全く正しい、先人の知恵の素晴らしさに、二千年以上も前によくぞ!と感心させられる。

これは、病気になればそのまま死んでいくということが珍しくない古代中国という時代、社会にあって、健康に長生きするためには、と必死に長年月問い続けることの結果の、であると思える。

しかしながら、当時の時代・社会の限界から、その構造への分け入りかたは観念論的にならざるを得ない、ということもまた仕方ないことである。

それゆえに、後生である我々は、そこをこそ問い直さねばならない、のだと思う。

それは、観念論的な構造論の部分を捨て去ることでは決してなく、その部分の論理的な再検討、再措定?でなければならない。

これは例えば、観念論的な天動説もサンルームの設計には、地動説よりも役に立つ、立てやすい(と三浦つとむ先生が相対的誤謬の例としてどこかで説いておられたが)ということと同じ論理である。
『素問』『霊枢』は、鍼灸を学ぶならば、一般教養という観点からも素読レベルででも読んでおきたいものと思える。

まずは、一般的にどんなことが説かれているのかを知ることが何よりもまず大事なのであるから、漢文が得意な方以外は、日本語訳で十分である。

事細かな部分をあれこれ詮索することは、古典資料の研究者ではない我々には大して意味のないこと、と思う。
素問
小曽戸丈夫,小曽戸洋
たにぐち書店
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