明治国際医療大学での臨床見学、さすが大学教授レベルは違うなあ、と思わされた。
臨床見学に先だっての講義が終わっての臨床見学、午前中は鍼灸基礎理論、治効理論を専門とされるK先生、午後には実践理論、難病治療を専門とされるI先生の臨床見学であった。
午前のK先生の臨床見学、その日は患者さんが少なく一人しか見学出来なかったが、初めての大学教授の臨床ということで興味津々で見学したが、通常の鍼灸の施術とそれほどの違いを見て取ることは出来ず、鍼の打ち方が非常にソフトなことが印象に残ったくらいであった。
また、臨床見学後に鍼灸についてのお話いただけ、鍼灸基礎理論、治効理論を専門とされている先生とうかがっていたので、日頃の鍼灸に関わる疑問を、例えば、そもそも鍼は何をしているのか、何故効くのか、補瀉とは何なのか、補瀉の手技に意味があるのか、鍼の材質によって効果の違いがあるのか、経絡と臓腑の対応は本当なのか等々、思いつくままに質問させていただいた。
それに対して、全てに、それなりに納得させられる答え(その正否は別にしても)をいただけた、これが専門学校レベルであれば、それは自身の専門では無いとか、そこを疑うならば鍼灸は成り立たない等と逃げられる可能性があるのであるから……。
午後のI先生の臨床見学、患者さんが多く、希望者だけではあるが当初の予定を2時間オーバーしての臨床見学となった。予定外の臨床見学では、ほぼマンツーマン状態で鍼灸についての諸々のお話いただきながらの、であった。
I先生の臨床で印象深かったのが(I先生はトリガーポイントの第一人者とうかがっていたので、勝手に東洋医学に否定的な立場であると自身で思い込んでいたのだが)東洋医学的な経絡、経穴をも臨床に取り入れられており、その東洋医学的な施術を、効くから良いのだとするのでは無しに、その意味を西洋医学的にそれなりにキチンと説かれての取り入れる、であるということ、例えば、逆子に対して「至陰」穴を使うということを、足の小指はデルマトームではS1であるから、当然、子宮の血流の改善につながる、というように。
それ以外にも、肘や膝から先の末梢の経穴を使う意味、東洋医学を現代の鍼灸でどう位置付けるか、何故、東洋医学は西洋医学的に説明されねばならないのか等々、説いていただいた。
また、I先生の臨床の実技で印象に残ったのは、ともかく施術が早いということ。最初から何処に打つかは決まっているが如くに、次々に取穴し、確認して、打つで、あっという間に十数本の鍼を打っていかれる。ただ、その素早さを別にすれば……であった。
以上を要するに、大学(教授)レベルの鍼灸というものは、その所以は、現象としての手技の見事さ、治る治らないというレベルの問題では無しに(もちろん超一流レベルの手技の実力を把持していても構わない、出来ればその方が望ましいのであるが)、自身の手技がいかなる意味を持つのか、何の為にそれを行なっているのかを自身にも他人にもしっかりと説けるということである、と思う。(これはマルクスが何処かで説いていた動物と人間の分水嶺の問題、目的意識性の問題であると……)
臨床見学に先だっての講義が終わっての臨床見学、午前中は鍼灸基礎理論、治効理論を専門とされるK先生、午後には実践理論、難病治療を専門とされるI先生の臨床見学であった。
午前のK先生の臨床見学、その日は患者さんが少なく一人しか見学出来なかったが、初めての大学教授の臨床ということで興味津々で見学したが、通常の鍼灸の施術とそれほどの違いを見て取ることは出来ず、鍼の打ち方が非常にソフトなことが印象に残ったくらいであった。
また、臨床見学後に鍼灸についてのお話いただけ、鍼灸基礎理論、治効理論を専門とされている先生とうかがっていたので、日頃の鍼灸に関わる疑問を、例えば、そもそも鍼は何をしているのか、何故効くのか、補瀉とは何なのか、補瀉の手技に意味があるのか、鍼の材質によって効果の違いがあるのか、経絡と臓腑の対応は本当なのか等々、思いつくままに質問させていただいた。
それに対して、全てに、それなりに納得させられる答え(その正否は別にしても)をいただけた、これが専門学校レベルであれば、それは自身の専門では無いとか、そこを疑うならば鍼灸は成り立たない等と逃げられる可能性があるのであるから……。
午後のI先生の臨床見学、患者さんが多く、希望者だけではあるが当初の予定を2時間オーバーしての臨床見学となった。予定外の臨床見学では、ほぼマンツーマン状態で鍼灸についての諸々のお話いただきながらの、であった。
I先生の臨床で印象深かったのが(I先生はトリガーポイントの第一人者とうかがっていたので、勝手に東洋医学に否定的な立場であると自身で思い込んでいたのだが)東洋医学的な経絡、経穴をも臨床に取り入れられており、その東洋医学的な施術を、効くから良いのだとするのでは無しに、その意味を西洋医学的にそれなりにキチンと説かれての取り入れる、であるということ、例えば、逆子に対して「至陰」穴を使うということを、足の小指はデルマトームではS1であるから、当然、子宮の血流の改善につながる、というように。
それ以外にも、肘や膝から先の末梢の経穴を使う意味、東洋医学を現代の鍼灸でどう位置付けるか、何故、東洋医学は西洋医学的に説明されねばならないのか等々、説いていただいた。
また、I先生の臨床の実技で印象に残ったのは、ともかく施術が早いということ。最初から何処に打つかは決まっているが如くに、次々に取穴し、確認して、打つで、あっという間に十数本の鍼を打っていかれる。ただ、その素早さを別にすれば……であった。
以上を要するに、大学(教授)レベルの鍼灸というものは、その所以は、現象としての手技の見事さ、治る治らないというレベルの問題では無しに(もちろん超一流レベルの手技の実力を把持していても構わない、出来ればその方が望ましいのであるが)、自身の手技がいかなる意味を持つのか、何の為にそれを行なっているのかを自身にも他人にもしっかりと説けるということである、と思う。(これはマルクスが何処かで説いていた動物と人間の分水嶺の問題、目的意識性の問題であると……)