MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

(討論)(竹山晋一郎の)唯物弁証法について〜その適用の二重性〜

2024-11-21 14:50:00 | 鍼灸学校の学びの総括あるいは鍼灸・東洋医学とは何か
 竹山晋一郎の唯物弁証法は何故に役に立たなかったのか?それは、その適用が観念論的であったからなのでは、と思える。

 鍼灸に関わりを持って以来、自身の問題としてはそれ以前から唯物弁証法を自身の専門分野に適用しての科学的理論の構築、ということは自身の熱望することであった。

 それだけに、竹山晋一郎という人物がいて、かつて唯物弁証法の適用によって伝統的鍼灸の復興=鍼灸理論の構築を志したということは、そしてその成果が「経絡治療」であるということを知った時には驚きもし、「だから鍼灸学校の教科書であった、経絡治療の強い影響下で執筆されたという『旧版・東洋医学概論』が、中医学の翻訳そのままといわれる『新版・東洋医学概論』よりも分かりやすかったのか!?」と納得されもした。

 そこから、竹山晋一郎の著作である『漢方復興(......ここまでが下書きとして残っていた部分)

【さて、竹山晋一郎氏の弁証法が何故に役立た無かったのか、弁証法的唯物論的な鍼灸論・東洋医学として花開くことが無かったのか、という問題。

端的には、氏の学びがインテリ秀才的(氏は慶應卒である)学び=知識的学び、であったからだと思える。それは、弁証法の学びにおいても、鍼灸・東洋医学の学びにおいても、である。

当時の鍼灸というものが、特効穴によるか、(経絡の)虚実を補瀉する、とそれを理論の如くに崇めての、ものでしか無かった、ということを考えると、竹山晋一郎氏の弁証法を使っての、快刀乱麻を断つが如きの鍼灸・東洋医学の解明は、学問といえば、古典を読むこと、その上のレベルとして『黄帝内経』等の古典を原文=漢文で読むことであった大多数の、それが学問であり、それで学問をやってると錯覚している鍼灸師諸氏にとっては、ただただ感嘆するしか無かった。

あるいは、鍼灸・東洋医学は科学、西洋の学問・哲学とは相容れない、として反発して、黙殺するしか無かった。

そのような人々にとっては、本当に凄い実力とされるのが当然であるし、竹山晋一郎氏自身も自信たっぷりの、鍼灸・東洋医学の解明であった。

しかしながら、それゆえに、である。竹山晋一郎氏は、それ以上に弁証法の学びを深めることも無く......であった、と。

鍼灸・東洋医学の世界での、弁証法的解明の先駆者であり、大先輩でもある竹山晋一郎氏の弁証法については、一度論じねばと思っていたのだが、今後は、論じることも無いであろう......とは思う。

ただ、後生である自身としては、時代性故に、知識レベルの弁証法の学びと駆使しかなし得なかった竹山晋一郎氏を、低く見て非難するが如くの愚を犯すことなく、鍼灸・東洋医学を弁証法を駆使して解明しよう、新たな鍼灸・東洋医学の構築を!という、その大志に学んで、真っ当なる弁証法の学びとその駆使による鍼灸・東洋医学の解明、再構築でなければ、と思う。】



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