不眠についての考察。それには二重性があるのだと思う。眠れないのと、眠れないと思っているの、との。
自身でも、時になかなか眠れない、世に言う「不眠」という状態になることがある。
そんな時に薬に頼ろうとの思いになることはないのだけれども、それでも翌日にしっかりとカラダとアタマが働かなければ困るといった予定が入っていると、「眠れないなあ、困ったなあ。」との思いとなる。
そんな時は、スマホを遠ざけ、今の時期なら暖かくして......それでもなかなかに寝付けない時には「しょうがないな」と諦めの境地でじっと横になっていると、大抵は、そのまま眠ってしまうのだが......時に、何をしても、どう気持ちを切り替えても、眠れない時がある。
先日もそんな日があって、「昨夜は眠れなかったなあ」との思いで目覚めた。
そんな時には自身ではいつも、「昨夜、鳩時計の音は何時まで聞いたか ?」 と自問自答する。
すると、大抵の場合、「あれ ? 1回しか記憶にない。」「一度も聞いた覚えがない!?」となる。
これは、「眠れないという夢」を見ていたということなのだ、と思う。(これは昔々に師から、「眠れないということの二重性」として説いていただいたことの、「自身の事実=論理的事実」であると......。
要するに、「眠れない」ということには、実際に本当に「眠れない」というのと、実際には眠っているのに、眠れないと思っているだけ、「眠れないという夢」を見ている、のとの二重性がある、ということである。
医学的な定義では「不眠症とは客観的に眠れているかどうか?ではなしに、不眠感のあるかどうか?」らしいから、どちらにせよ「不眠症」であって、眠剤!をとなるのだろうが。
「不眠」に悩んでいる方は、一度鳩時計を試すことをおすすめします。
次は、睡眠とは何か?を生命の歴史からと言っていこうと思っています。
端的には、睡眠とは、「単細胞生命体の時代」の、「運動 = 代謝であった時代」の繰り返しなのでは?と思えているのだが.......。