「心は子供」ということ考えると、心の問題、認識の問題の難しさ痛感される。
今朝の朝日新聞一面に、「心は女性」を認めて女子大学が入学の許可を検討しているとかいないとかとの記事があった。理論的には明らかな問題であると思うのだが、心の問題であるだけに……と思う。
さて、「心は女性」という問題とは別にして、「心は子供」という問題に近頃、度々出会うことがある。例えば著しく社会性に欠ける言動をして「心は子供」である、として開き直っておられる方々や幼稚な言動を「子供みたい」と好ましげに扱う中年女性やそう扱われて嬉しそうに笑う方の姿を度々目にすると、日本はどうなっていくのかと侘しくなってしまう。それ以上に自身の認識としては「気持ち悪い」となってしまう。
しかしながら、これは(当初に自身が思っていたような)「心は子供」を演じているというレベルの問題では無くして、喘息や花粉症と論理的には同様の認識の深まり、病みの深まりの構造を持っているのでは、と思う。それだけに、理論的には「仕方ないな」と思うものの感情的には「気持ち悪い〜」となっていっての心の葛藤が……。
今朝の朝日新聞一面に、「心は女性」を認めて女子大学が入学の許可を検討しているとかいないとかとの記事があった。理論的には明らかな問題であると思うのだが、心の問題であるだけに……と思う。
さて、「心は女性」という問題とは別にして、「心は子供」という問題に近頃、度々出会うことがある。例えば著しく社会性に欠ける言動をして「心は子供」である、として開き直っておられる方々や幼稚な言動を「子供みたい」と好ましげに扱う中年女性やそう扱われて嬉しそうに笑う方の姿を度々目にすると、日本はどうなっていくのかと侘しくなってしまう。それ以上に自身の認識としては「気持ち悪い」となってしまう。
しかしながら、これは(当初に自身が思っていたような)「心は子供」を演じているというレベルの問題では無くして、喘息や花粉症と論理的には同様の認識の深まり、病みの深まりの構造を持っているのでは、と思う。それだけに、理論的には「仕方ないな」と思うものの感情的には「気持ち悪い〜」となっていっての心の葛藤が……。