「花粉症はココロの病」と(南郷先生が)説かれること、納得レベルで分かることが実践的には必須であると思える。
「花粉症はココロの病である。ココロがパニックになるから、花粉症になる。クシャミ、鼻水、痒み等々が止まらなくなっていく。」と南郷先生がどこかで説かれていた(『夢講義』でであったと思うが、原文が手元にないので正確では無いが)。
その一文を読んで、その時は自身の花粉症を事実からそれなりに理解して、「なるほどそういうことか!?であれば、花粉の時期にはパニックにならない様にココロを落ち着けるべくなだめてやることで!」と思い、そのことを試してみた。が、結果としては、少しは花粉症は軽減された様に思うけれど......であり、劇的に、というわけにはいかなかった。
しかしながら、ある時にココロ=認識の原点である外界の反映像を、クラゲ体→魚類体への進化の問題として考えることがあり、認識は外界の反映とともに内界を変化させる、統括しているということに気づき、だからココロがパニックになると花粉症になるのか!?と南郷先生の説かれることが納得レベルで分かることができ、以来、ほとんど花粉症らしき症状が出なくなり、理論というものは納得レベルで分かることが無ければならないのだ、との思いとなった。
肝心の、魚類体の段階で誕生した認識というものの原点の自身の理解は以下である。
クラゲ体→魚類への進化は地球環境の激変により、それまで漂うだけでよかったものが激しい海流の中を猛スピードで泳いでの場所移動を行う為の、運動器官、代謝器官、統括器官への分化、身体の進化であったが、そこから考えると脳の誕生=認識の原基形態である外界の反映像の誕生というものも、そのように理解してやる必要がある。
つまり、激しく変化する外界に合わせて生きるために、外界を先取りして知る必要性からの、例えば、外界である海水の温度が下がって身体が冷やされてそれに対して何とか体温を維持しようと内界を変化させ、場所を移動することで外界を変化させようとするクラゲ体のあり方(クラゲ体の誕生した時代はそれでも間に合うほど外界の変化は緩やかであった)に対して、魚類体(の誕生した環境が激変する時代)にあっては、温度の変化を感覚すると直接に外界の反映像を描き、かつその像を描くことと直接に神経やホルモンによって内界を変化させて、場所の移動を行うことで冷やされるということを防ぐことがあった。その様な働きが外界の反映像を描くということにはある。のだろうと考えられた。
そこから、人間にあっても、花粉症でココロがパニックになるということは、その認識=像=ココロは直接に緊急事態として内界を変える、クシャミ、鼻水、痒み等々の症状を引き起こすのだという理解で、改めて自身の花粉症のココロ=認識を振り返り、自身の認識を整えるなだめるということを真面目にかつ繰り返しおこなった。
結果として、花粉症の症状がほとんど出なくなった。ということである。
スマホからの投稿なので、思いつくままであるが......。
> …ココロがパニックになるから、…
この事を私の現実にに当て嵌めて考えてみました。
私の場合、
ムズムズして…何となく痒くなった時、
深呼吸して心を落ち着かせて我慢・無視できれば、
痒みはスーと消えていった。
でも、何かに夢中・集中して取り組んでいる時は、
少しでも痒く感じると、それを我慢・無視できずに手で掻いてしまう。
「掻く」と、意識は痒みを感覚するようになり、更に掻いてしまう。
結局、掻けば掻く程、痒みを強く感じるようになっていった。
この何かに取り組み中の痒みが、
「今、取り組みたい!」想いを邪魔する事、
「集中したい⇔集中できない」という、
ある種の「パニック・矛盾」運動状態になり得るなのかも…
その状態の連続で、
単なる「痒み」症状が「花粉症」となっていく(量質転化化)…のかも(仮説)
因みに、私の場合、クシャミは、思いっきり出して終了。
時に、連続的に出ますが、昔からなので、出して終わり、
特に、冬の風呂から出たばかり、温度変化(急速な低下)で、よくクシャミがでます。
鼻水も、思いっきりティッシュでふき取って終了、
忙しくて、鼻水がふけない時の、あの垂れていくムズムズ…快感ですね。
この快感とは、「ティシュでふれば終わる」実感があるから…ですが。
また、鼻の痒みも、現在は、それ程に気になりません。
若い時は、一時期、痒すぎの為、塩水で鼻をすすぎました。
大きな問題は、目の痒みなのです。
それも、昨年から激くなりまりました。
でも、今年は、昨年程に辛くないです。
義母との父の相続問題も落ち着き、
新たな職場での仕事にも慣れたので、
精神的に随分と落ち着いたからでしょうか…
自覚ある・原因が分かる「パニック」の対応は、そう難しくないでしょうが…
無自覚・原因不明な「パニック」状態の対応は、至難なのでしょうね。
>納得レベルで分かることが実践的には必須であると思える。
同感!痛感!実感!です。
自分の現実・事実で理解・納得が必須ですね、