MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

(討論)パソコンの功罪~日常的に思弁?することの意義~

2024-12-08 20:54:19 | 日記
パソコンが起動しなくなった。パソコンの功罪について、思弁?することの大事性について改めて思えさせられた。

昨日、帰宅するとパソコンが起動しなくなっていた。「12人の優しい日本人」を見返したり、Tggヨーグルトについて調べたり等々を予定していたのだが、予定変更して、今春よりの鍼灸の学びの総括として「陰陽五行説」について書いた。

その作業をしている間、何度かパソコンを使って調べたいことがあったのだが、それが出来ないので、自身の記憶をたぐって見たり、「ああだろうか?こうだろうか?」「ああでもない。こうでもない。」と考え、思いを巡らす事となった。

パソコンがあれば、簡単に検索して分かること、分かったつもりになれることも、自身で想像し、考えるしかない。

パソコンとは、本当に便利なものなのだが、しかしながら、真面目に考えて見ると、ほんの十数年前までは何かを学ぼうとする時はもちろんであるが日常的な事柄に関しても、簡単に知り得ない事柄はパソコンの無い時代は自身で調べるということは大変なことであったので、まずは「ああだろうか?こうだろうか?」と考え、思いを巡らすというのが常であった。

この、あれこれと思いを巡らすという事が、思弁することの日常的レベルであると考えると、学問レベルでの思弁することが可能となっていく為には、大事な事ではと思える。

パソコンを使って、簡単に知ったり、分かったつもりになっているという事は、例えてみれば、日常的に自分の足で歩くことをせずにいて車生活をしているのと同じことであり、にもかかわらず学問的なレベルでの思弁が可能になりたいと望むのは、車生活でめったに歩くことすらしない人が武道の達人になりたいということと同じことなのではと思える。

パソコンの功罪について、日常的に思弁しないことの恐さを真面目に考えねばと思えた。

【このことは、現在パソコンからスマホになっていって、どころか小学生からタブレット端末使ったりと、ますます加速していって、と憂いていたのであるが......。

先日、某有名私立大学の近くを歩いていて、大学らしきカップルの会話に「.....それって、学ぶ意味無くない?結局、AIを如何に使いこなすか?でしょ!」「そうだよねえ!」と聞こえて来て......スマホで調べるどころか、AIに調べて貰うのが、現在の大学生の常識なのか!?と......】



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「人間は何を食べるべきか?」(4/... | トップ | 今日いち-2024年12月9日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。