解剖をその原点にかえっての学びとして取り組みはじめた。「ナースが視る人体」(と「ナースが視る病気」)の凄さ、今更ながらであるが実感される。
国試勉強的では無くて、まともなる解剖の学びを、と一からの解剖の学びを始めたが、どう学ぶことがまともなる解剖の学びなのかが分からず、悩んだあげくに原点にかえっての学びを!との思いとなって、病気の解剖、正常の解剖ということから始めるべし!と解剖、解剖学の学びに取り組みはじめた。
しかしながら、鍼灸学校の「解剖学」の教科書は、そこから病気の状態の時の身体の中身、健康な状態の時の身体の中身をイメージするには不足であった。何が不足なのかといえばそれぞれの器官については、胃なら胃、肝臓なら肝臓については、そこに事細かに解説され、図もあるのだが、それらが全体としてどのように繋がって、あるいは器官として独立して、人間の全体としての身体の働きを、生きて生活していることを、あるいは病んだ生活を支えているのかが、イメージ出来ないものである、という意味で不足であった。
それゆえ、解剖というものを病気の身体の中身、健康な身体の中身として見ていくことで始めよう、深めていこうということは「これでは無理だなあ、」と困惑している時に思いあたったのが、「ナースが視る人体」であった。
例えば、肝臓の病(肝炎、肝硬変、肝癌等)の学びから、より具体的には、肝硬変の病態の一つである食道静脈瘤が起こっている時の、肝臓を中心とする身体の中身はどうなっているのか、また肝臓を中心とする正常の身体の中身がどうなっているから、肝硬変になると食道静脈瘤となっていくのか等を知ろうと「解剖学」の教科書を開いてみても、そこでは肝臓は肝臓として、食道は食道として、血管は血管として、取り上げられ解説されているものの、それらがどのように繋がっているのか、繋がっていないのかが、しっかりとは取り上げられていないので、「解剖学」の教科書から、肝硬変になるとどうして食道静脈瘤へとなっていくのかの理解がとても困難であった。
それに対して「ナースが視る人体」では、肝臓が肝臓として取り上げられているのはもちろんであるが、肝臓と他の器官との繋がりが、血管の繋がり(動脈としての繋がり、静脈と門脈としての繋がり)、神経の繋がり等々として、しっかりと示されていたので、これが知りたかった!との思いとなるとともに、例えば瀬江先生が「ナースが視る人体」を、絶賛されているのかが何故なのかを自身のレベルでではあるが実感された。
以上の「解剖学」教科書と「ナースが視る人体」(あるいは「ナースが視る病気」)との違いは、端的には形而上学的と弁証法的の違いであり、別言すれば、解剖の様々な知識、知見をそれなりに整理したものが「解剖学」教科書であり、同じく解剖の事実を出発点としながら、それらを看護という視点から体系的に整理したもの、つまり、薄井先生のアタマの中の「看護のための解剖(と生理)」というものを客観化したものが、「ナースが視る人体」(であり「ナースが視る病気」)であると思える。
「ナースが視る人体」と「ナースが視る病気」にしっかりと学んでいくことで、弁証法的な解剖の学びを!と思う。
国試勉強的では無くて、まともなる解剖の学びを、と一からの解剖の学びを始めたが、どう学ぶことがまともなる解剖の学びなのかが分からず、悩んだあげくに原点にかえっての学びを!との思いとなって、病気の解剖、正常の解剖ということから始めるべし!と解剖、解剖学の学びに取り組みはじめた。
しかしながら、鍼灸学校の「解剖学」の教科書は、そこから病気の状態の時の身体の中身、健康な状態の時の身体の中身をイメージするには不足であった。何が不足なのかといえばそれぞれの器官については、胃なら胃、肝臓なら肝臓については、そこに事細かに解説され、図もあるのだが、それらが全体としてどのように繋がって、あるいは器官として独立して、人間の全体としての身体の働きを、生きて生活していることを、あるいは病んだ生活を支えているのかが、イメージ出来ないものである、という意味で不足であった。
それゆえ、解剖というものを病気の身体の中身、健康な身体の中身として見ていくことで始めよう、深めていこうということは「これでは無理だなあ、」と困惑している時に思いあたったのが、「ナースが視る人体」であった。
例えば、肝臓の病(肝炎、肝硬変、肝癌等)の学びから、より具体的には、肝硬変の病態の一つである食道静脈瘤が起こっている時の、肝臓を中心とする身体の中身はどうなっているのか、また肝臓を中心とする正常の身体の中身がどうなっているから、肝硬変になると食道静脈瘤となっていくのか等を知ろうと「解剖学」の教科書を開いてみても、そこでは肝臓は肝臓として、食道は食道として、血管は血管として、取り上げられ解説されているものの、それらがどのように繋がっているのか、繋がっていないのかが、しっかりとは取り上げられていないので、「解剖学」の教科書から、肝硬変になるとどうして食道静脈瘤へとなっていくのかの理解がとても困難であった。
それに対して「ナースが視る人体」では、肝臓が肝臓として取り上げられているのはもちろんであるが、肝臓と他の器官との繋がりが、血管の繋がり(動脈としての繋がり、静脈と門脈としての繋がり)、神経の繋がり等々として、しっかりと示されていたので、これが知りたかった!との思いとなるとともに、例えば瀬江先生が「ナースが視る人体」を、絶賛されているのかが何故なのかを自身のレベルでではあるが実感された。
以上の「解剖学」教科書と「ナースが視る人体」(あるいは「ナースが視る病気」)との違いは、端的には形而上学的と弁証法的の違いであり、別言すれば、解剖の様々な知識、知見をそれなりに整理したものが「解剖学」教科書であり、同じく解剖の事実を出発点としながら、それらを看護という視点から体系的に整理したもの、つまり、薄井先生のアタマの中の「看護のための解剖(と生理)」というものを客観化したものが、「ナースが視る人体」(であり「ナースが視る病気」)であると思える。
「ナースが視る人体」と「ナースが視る病気」にしっかりと学んでいくことで、弁証法的な解剖の学びを!と思う。