現代の鍼灸・東洋医学の世界に何よりも求められるべきもの、それは「無知の知」(ソクラテス)ということである、と思える。(あるいは鍼灸・東洋医学の世界では、「これを知るを知ると成し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。」(孔子)といったほうが分かっていただけるであろうか?)
自身には、科学的=論理的な方法こそが対象の究明の最上のものであるとの信念があるので、鍼灸学校入学を決めて以来、鍼灸・東洋医学もまた科学化されるべきであるとの思いがある。それだけに、鍼灸学校に入学して以来、何度か鍼灸学校の師や友人に対してそのことの必要性を述べたことである。
ところが、自身の予想に反して、そのことに関わっての議論が伯仲したり、深まっていったりしたことは一度たりとも無かった。それどころか、「鍼灸と科学とは相容れない」とその中身を問う以前に、「鍼灸の科学化」ということすらを否定されるという状態であった。そのようなやり取りを周囲と何度か繰り返すことで、自身の思いは、(鍼灸の)科学化ということは、鍼灸・東洋医学の世界ではいうだけ無駄。そのことは自身一人の努力でなすしかない!」となっていったのであるが、鍼灸・東洋医学の世界(の人々)が「科学化」ということを否定したり、興味を持たないということが自身には何とも不可解であった。(おそらくは科学化ということを素人レベルでしか理解していないから、との何となくの推測はあったのではあるが・・・・・・)
ところがあるとき、『誰にもわかる経絡治療講話』(本間祥白著 医道の日本社)に目を通していて本間祥白の鍼灸の科学化についての見解を知ることとなり、「ああそういうことなのか!?だから伝統的な鍼灸を志す人々は、科学化ということを理解しようともせずに科学化ということから逃げてしまうのか!」と気づかされることとなった。
詳細には、『誰にもわかる経絡治療講話』をお読みいただければと思うが、この書で経絡治療の大家である本間祥白は、「鍼灸の科学化」ということの必要性を「人類の歴史の流れからからすれば必然であり、それがなされなければ鍼灸はいずれ滅んでしまう!」と、熱く説いている(さすが大学で哲学を専攻しただけに鍼灸を捉えるスケールが、現代の進級・東洋医学の世界の人々とは違うと・・・・・・)のであるが、驚いたことに(情けないことに)、それだけ「鍼灸の科学化」ということを熱く説いておきながら、「自分たち鍼灸師には鍼灸の科学化を成しうるだけの実力が無いから、そのことに手をつけてはならない、それは科学的素養のある後生に託すべきなのだ。」と結論づけて、「鍼灸の科学化」から逃げてしまっているのである。
当時の常識レベルの「科学」では、鍼灸の科学化ということは難しく、本間祥白の懸念したように「鍼灸の科学化」ということに下手に着手すると元も子も無くしてしまうということにもなりかねないとは思う。しかしながら、同世代には三浦つとむが存在し、すでにヨゼフ・ディーツゲンの著作の日本語訳も存在したはずであるから、どうしていま一歩の科学化への歩みを進められなかったのであろうかと・・・・・・。
確かに、経絡治療の大家であり、その理論的主柱であった大先達、本間祥白が「鍼灸の科学化には手をつけるべきではない!」と、そこから逃げてしまっているのだから、「本間祥白先生ですらが、「鍼灸の科学化」ということは成し遂げられなかったのであるから、それは自分などが手をつけるべき事ではない。・・・・・・それどころか、そもそもそれは不可能なことに違いない!・・・・・・きっと鍼灸と科学とは相容れないものなのだ!」となっていってしまっても不思議がない、とも思えるが・・・・・・。
それはともかく、現在の(伝統的な)鍼灸・東洋医学の世界では、「鍼灸と科学とは相容れない」という認識が量質転化していってしまっていると思えるのだが、その原因は、何よりも本間祥白の時代の「科学」観から未だに一歩も出ない、現代鍼灸・東洋医学の世界の不勉強ということにあり、もっと言えば自身の不勉強を棚に上げて、学問的に科学というものを知ろうとする努力すらすることも無く、「知らないものを知っている」として「鍼灸の科学化」ということを論じるから、いつまでたっても問題の端緒にすらつけない、ということなのだと思える。これ即ち「無知の知」が何よりも求められるものである、とする所以である。
次に、では常識レベル素人レベルでは無い科学とは如何なるものなのだろうか?ということが問題になると思う。
それについては、南郷継正先生の一連の著作を是非に!とは思うが、それではあまりにも膨大なものとなるので、例えば『医学の復権』(瀬江千史著)や指導的立場の方であれば『医学教育概論(1〜6)』(瀬江千史他著、共に現代社)をお読みいただければと思う。
しかしながら、以上に紹介した著作は現代のものであるだけに、「お前が散々批判した本間祥白の時代にはそれらは存在しなかったでは無いか!」との反問もあるかと思う。それゆえ最後に、本間祥白も読むことが可能であったと思える『人間の頭脳活動の本質』(ディーツゲン著 小松摂郎訳 岩波文庫 1952年11月5日 第1刷発行)から、学問的な「科学とは」を紹介しておきたい。
「體系化ということが科學の全活動の本質であり、その一般的表現である。科學は我々の頭腦に對して世界の諸々の事物に秩序と體系とを與えようとするものに外ならない。・・・(略)・・・農業科學は馬鈴薯の収穫をあげることだけを目的とするものではなく、農業の方法と様式とに関して體系的秩序を見出し、その知識によって成果の豫測をもって耕作できるようにしようとするものである。あらゆる理論の實際的の効果は、我々をしてその理論の對象の體系と方法とに精通させ、従って成果の豫測をもって世の中で働きうるようにするところにある。経験は確かにそのための前提にはなるものであるが、しかし経験だけでは足らない。経験から発展した理論、すなわち科学によってはじめて我々は偶然のたわむれから免がれることができる。科學によって我々は意識的に事物を支配し、絶對に確實に處理することができる。」
「科學或は理性はすべての對象を取扱う。しかし、科學が概念的に分析しようとするすべての對象は、あらかじめ實践的に分析されることを必要とする。すなわち、對象の種類に応じて、或いはいろいろ使ってみたり、或いは慎重に眺めてみたり、或いは注意深く聞いてみたり、要するに徹底的に経験されなければならない。」(原訳文の雰囲気を残すためになるべく旧字体としたが、パソコンで出てこないものは新字体とした。)
「科學的」ということを肯定するにせよ否定するにせよ、本来の、学問的な科学とは斯くの如きものである、ということを知っての議論が、鍼灸・東洋医学の世界においても常識となるべきである、と自身には思える。
自身には、科学的=論理的な方法こそが対象の究明の最上のものであるとの信念があるので、鍼灸学校入学を決めて以来、鍼灸・東洋医学もまた科学化されるべきであるとの思いがある。それだけに、鍼灸学校に入学して以来、何度か鍼灸学校の師や友人に対してそのことの必要性を述べたことである。
ところが、自身の予想に反して、そのことに関わっての議論が伯仲したり、深まっていったりしたことは一度たりとも無かった。それどころか、「鍼灸と科学とは相容れない」とその中身を問う以前に、「鍼灸の科学化」ということすらを否定されるという状態であった。そのようなやり取りを周囲と何度か繰り返すことで、自身の思いは、(鍼灸の)科学化ということは、鍼灸・東洋医学の世界ではいうだけ無駄。そのことは自身一人の努力でなすしかない!」となっていったのであるが、鍼灸・東洋医学の世界(の人々)が「科学化」ということを否定したり、興味を持たないということが自身には何とも不可解であった。(おそらくは科学化ということを素人レベルでしか理解していないから、との何となくの推測はあったのではあるが・・・・・・)
ところがあるとき、『誰にもわかる経絡治療講話』(本間祥白著 医道の日本社)に目を通していて本間祥白の鍼灸の科学化についての見解を知ることとなり、「ああそういうことなのか!?だから伝統的な鍼灸を志す人々は、科学化ということを理解しようともせずに科学化ということから逃げてしまうのか!」と気づかされることとなった。
詳細には、『誰にもわかる経絡治療講話』をお読みいただければと思うが、この書で経絡治療の大家である本間祥白は、「鍼灸の科学化」ということの必要性を「人類の歴史の流れからからすれば必然であり、それがなされなければ鍼灸はいずれ滅んでしまう!」と、熱く説いている(さすが大学で哲学を専攻しただけに鍼灸を捉えるスケールが、現代の進級・東洋医学の世界の人々とは違うと・・・・・・)のであるが、驚いたことに(情けないことに)、それだけ「鍼灸の科学化」ということを熱く説いておきながら、「自分たち鍼灸師には鍼灸の科学化を成しうるだけの実力が無いから、そのことに手をつけてはならない、それは科学的素養のある後生に託すべきなのだ。」と結論づけて、「鍼灸の科学化」から逃げてしまっているのである。
当時の常識レベルの「科学」では、鍼灸の科学化ということは難しく、本間祥白の懸念したように「鍼灸の科学化」ということに下手に着手すると元も子も無くしてしまうということにもなりかねないとは思う。しかしながら、同世代には三浦つとむが存在し、すでにヨゼフ・ディーツゲンの著作の日本語訳も存在したはずであるから、どうしていま一歩の科学化への歩みを進められなかったのであろうかと・・・・・・。
確かに、経絡治療の大家であり、その理論的主柱であった大先達、本間祥白が「鍼灸の科学化には手をつけるべきではない!」と、そこから逃げてしまっているのだから、「本間祥白先生ですらが、「鍼灸の科学化」ということは成し遂げられなかったのであるから、それは自分などが手をつけるべき事ではない。・・・・・・それどころか、そもそもそれは不可能なことに違いない!・・・・・・きっと鍼灸と科学とは相容れないものなのだ!」となっていってしまっても不思議がない、とも思えるが・・・・・・。
それはともかく、現在の(伝統的な)鍼灸・東洋医学の世界では、「鍼灸と科学とは相容れない」という認識が量質転化していってしまっていると思えるのだが、その原因は、何よりも本間祥白の時代の「科学」観から未だに一歩も出ない、現代鍼灸・東洋医学の世界の不勉強ということにあり、もっと言えば自身の不勉強を棚に上げて、学問的に科学というものを知ろうとする努力すらすることも無く、「知らないものを知っている」として「鍼灸の科学化」ということを論じるから、いつまでたっても問題の端緒にすらつけない、ということなのだと思える。これ即ち「無知の知」が何よりも求められるものである、とする所以である。
次に、では常識レベル素人レベルでは無い科学とは如何なるものなのだろうか?ということが問題になると思う。
それについては、南郷継正先生の一連の著作を是非に!とは思うが、それではあまりにも膨大なものとなるので、例えば『医学の復権』(瀬江千史著)や指導的立場の方であれば『医学教育概論(1〜6)』(瀬江千史他著、共に現代社)をお読みいただければと思う。
しかしながら、以上に紹介した著作は現代のものであるだけに、「お前が散々批判した本間祥白の時代にはそれらは存在しなかったでは無いか!」との反問もあるかと思う。それゆえ最後に、本間祥白も読むことが可能であったと思える『人間の頭脳活動の本質』(ディーツゲン著 小松摂郎訳 岩波文庫 1952年11月5日 第1刷発行)から、学問的な「科学とは」を紹介しておきたい。
「體系化ということが科學の全活動の本質であり、その一般的表現である。科學は我々の頭腦に對して世界の諸々の事物に秩序と體系とを與えようとするものに外ならない。・・・(略)・・・農業科學は馬鈴薯の収穫をあげることだけを目的とするものではなく、農業の方法と様式とに関して體系的秩序を見出し、その知識によって成果の豫測をもって耕作できるようにしようとするものである。あらゆる理論の實際的の効果は、我々をしてその理論の對象の體系と方法とに精通させ、従って成果の豫測をもって世の中で働きうるようにするところにある。経験は確かにそのための前提にはなるものであるが、しかし経験だけでは足らない。経験から発展した理論、すなわち科学によってはじめて我々は偶然のたわむれから免がれることができる。科學によって我々は意識的に事物を支配し、絶對に確實に處理することができる。」
「科學或は理性はすべての對象を取扱う。しかし、科學が概念的に分析しようとするすべての對象は、あらかじめ實践的に分析されることを必要とする。すなわち、對象の種類に応じて、或いはいろいろ使ってみたり、或いは慎重に眺めてみたり、或いは注意深く聞いてみたり、要するに徹底的に経験されなければならない。」(原訳文の雰囲気を残すためになるべく旧字体としたが、パソコンで出てこないものは新字体とした。)
「科學的」ということを肯定するにせよ否定するにせよ、本来の、学問的な科学とは斯くの如きものである、ということを知っての議論が、鍼灸・東洋医学の世界においても常識となるべきである、と自身には思える。