『人生に生かす易経』(竹村亞希子著 致知出版社)に目を通した。易経というものの意義をはじめて知り得たとの思いがする、とともにそのアバウトな理解の必要性痛感した。
『易経』は、古代中国の古典中の古典であり、それ以上に鍼灸の根本思想ともいうべき「陰陽論」の原点となる書でもある、との知識があったので、何度か手にしては見たものの、理解以前に、読み通すことが困難な書であった。
しかしながら、今回、竹村亞希子氏が『武道の理論』(南郷継正著)に学んで、『易経』がスッキリと読めた、その理解が深まった、と言われているのを知って、氏の著書によれば『易経』というものが分かるのではないか?と『人生に生かす易経』に目を通した。
その素朴な感想として、(通常は)『易経』の学びを抜きにしては東洋医学というものの理解は難しいだろうな、とか、『易経』というものは、古代中国の弁証法と認識論の書なのだな、とか......。
東洋医学というものに違和感を感じて、「東洋医学苦手!」となっていってしまっている鍼灸学校生徒の皆さん、の夏休みの息抜きに......と思える。
ここで説かれる『易経』の「龍の話」は表象レベルの弁証法である。それだけに『易経』は誰にもの指針となりうる、のだと思える。
『易経』は、古代中国の古典中の古典であり、それ以上に鍼灸の根本思想ともいうべき「陰陽論」の原点となる書でもある、との知識があったので、何度か手にしては見たものの、理解以前に、読み通すことが困難な書であった。
しかしながら、今回、竹村亞希子氏が『武道の理論』(南郷継正著)に学んで、『易経』がスッキリと読めた、その理解が深まった、と言われているのを知って、氏の著書によれば『易経』というものが分かるのではないか?と『人生に生かす易経』に目を通した。
その素朴な感想として、(通常は)『易経』の学びを抜きにしては東洋医学というものの理解は難しいだろうな、とか、『易経』というものは、古代中国の弁証法と認識論の書なのだな、とか......。
東洋医学というものに違和感を感じて、「東洋医学苦手!」となっていってしまっている鍼灸学校生徒の皆さん、の夏休みの息抜きに......と思える。
ここで説かれる『易経』の「龍の話」は表象レベルの弁証法である。それだけに『易経』は誰にもの指針となりうる、のだと思える。