中山寺奥の院に登って2日が経った。今に至るも筋肉痛も、心配していた膝の痛みもない。どうやら一か八かの賭けに勝ったようである。
11月4日、文化の日(体育の日がスポーツの日ならカルチャーの日じゃないのと思うけれども^^;)に、中山寺奥の院まで往復4km を1時間余りで登って、降りてを行った。
これは二重の試し、今春より始めた<股関節重心>の正否の試しであり、自身の人間体(力)の試しでもあった。
6年前に裸足での10km のランニングで膝を痛めて以来、運動直後には膝にハリ、軽い痛みがあり、そんな状態を繰り返して日々運動を重ねていくと、1ヶ月ほどで膝がパンクして、また1ヶ月ほどはまともに運動できない(に加えて、膝をかばっての運動が坐骨神経痛等へとつながっていくような)状態が続いていた。
そんな6年間であったので<股関節重心>の実践・実験を始めて以来、1ヶ月くらいした頃から膝の痛みがピタッと止まってということに(その論理的な意義を捉え返してみると、それも当然のことと思えるものの)未だに、半信半疑の思いがどこかにある。
それゆえの、重ねての<股関節重心>の正否・成否を確かめるための実践・実験を重ねている。そのような実践・実験の一つとしての、過日の中山寺奥の院登山であった。結果として当日、翌日は何の異常もなくであった。
しかしながら、自身の年齢になると運動後の筋肉痛等は、翌日ではなしに翌々日というのが世の常であるので、そこを心配しての、であったが翌々日の今朝に至るも、筋肉痛もなければ膝や腰の痛みもないという状態が続いている。
それゆえの、一かバチかの賭けに勝ったのだ!との思いである。<股関節重心>ということの成否と自身の人間体(力)の成否との二重の意味で。
これで自身の人間体(力)の鍛錬も次の段階へステップアップしていけそうである。奥の院への登山も当分は週1くらいで焦ることなく、とは思うが。
<股関節重心>ということ。単なる姿勢の問題と思われてしまいがちであるが(実際、患者に指導してもそのレベルで捉えられてしまうが)、本当はそんな単純な、単細胞レベルで捉えるのではなしに<生命の歴史>を踏まえての、その1コマとして、もっと言えば猿が木から降りて歩けるようになっていく。あるいは四足から二足への、猿から人間へとなっていく。その実力を培う一コマとして捉え返すことなしには、その本当の意義もわからず、結果として<股関節重心>の習得・修得に対しての熱意も意欲も大して湧かないということになってしまうのだ、と思えている。
ここは患者にもわかるように説明しなければとは思うものの、それを説くことは通常の患者に対しては至難の技である。
なぜなら、前提となる<生命の歴史>の理解もなければ、弁証法の理解もない。それどころか、知識としてすらそれらを持たないのであるから。
ここは、本ブログで説いていきたいと思う。
(見出し画像は、奥之院登りのタイム)