MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

「万物は流転する」を実感レベルで分かるために必須のこと〜弁証法を分かるための実践〜

2017-03-23 19:50:40 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
「万物は流転する」(ヘラクレイトス)を実感レベルで分かることが、弁証法を分かることの大元であると思える。吾人が人類の歴史を繰り返すことの大事性痛感する。

ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の背後にある像を知って、自身でも同じくの像を描いてみて、同じくの反映を持っての像を描く努力をしてみての「万物は流転する」を分かることが、分かる努力をすることが肝腎なことであると思える。

より構造的には、弁証法もまた弁証法性を持つものであるから、かつ弁証法は抽象的な認識(イデア?)のありかたであるのだから、弁証法を分かろうとするならば弁証法となっていった大元の認識を知ることが、そのような像を自身で描いてみることで知ることが必須であり、それにはまず、弁証法の誕生した古代ギリシャという時代・社会を知ることが必要とされる。

では、その時代・社会とはいかなるものかといえば、詳細には『哲学・論理学研究(第一巻)』(悠季真理著 現代社白鳳選書)等をお読みいただければと思うが、哲学・弁証法を誕生させた古代ギリシャという時代・社会というものは「長らく続いた戦争状態が少し落ち着いて余裕の出来てきた」時代・社会であり、その時代・社会に生きた人類の、哲学を生み出した人々の、例えばヘラクレイトスの描いたであろう像は、「(生成、発展、そして成熟して、)永遠の存在であったと思えていたものも永遠では無く、何もかもが焼き尽くされ、死んでいく、あるいは衰えていく、またその一方で、新たなものが生まれ発展して……」というものであったろうと思う。

どこかで南郷先生が書かれていたように記憶しているが、その具体の像から一段上がっての「(永遠に変わらないと思っていたものさえも含めての)何もかもが変わっていくのだなあ」という抽象的な?像が、「万物は流転する」であり、弁証法の原点である、と思える。

そうであるだけに、「万物は流転する」となっていく大元である、具体としての生成、発展、成熟、衰退、消滅の諸々の反映のその結果としての具体像、無しの「万物は流転する」(弁証法の原点)は、言葉としては記憶して、使うことが出来るにしても、実感の無い、なんとも虚しいものであったのだ。と、半世紀近くものあいだ、自身を悩まし続けた、分かっているはずの弁証法が分からないということの中身を、このところ思うようになって来ている。

ヒヨコレベルの実力でしか無い自身が如此くのことを説くのは烏滸がましいとの思い、説いたことは、南郷先生や悠希先生の説かれていることの、レベルの低い焼き直しに過ぎないのでは無いのか?と、ブログ記事を読み返してみている現在もあるのだが……本ブログの読者の中に、自身と同じくに哲学・弁証法に憧れ何としてもそれらを自身の実力としたいと熱望し努力しながらも、一向にその端緒にすら着けないと嘆くかたもおられるのではとの思いからの、その自身と同じ境遇であるかたの少しでものお役に立てれば幸い、との思いからの……である。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 蕗の薹味噌〜春の味覚〜 | トップ | ガラスの吸玉〜台湾式?吸玉〜 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。