「陰陽五行論」について学んでいくと、それを正しいとして使っていい根拠は何なのかとの疑問がなかなかに拭えません。
現在、「陰陽五行論」の起源について、その発展の歴史について知ろうとあれこれ資料にあたっています。
これは「陰陽五行論」が東洋医学・鍼灸において、その診断・治療の根拠ともなる重要な理論であるのにもかかわらず、大抵の解説書が、学校の教科書を含めて「陰陽五行論」を正しいとして、それが正しい前提で始まっていて、「陰陽五行論」の正しさの証明はどこにも成されていない現実があるからです。
多くの書で述べられている、「陰陽五行論」に従っての診断・治療が上手く行った、効果があったということは、「陰陽五行論」の正しさの証明とはならない、それはもしかしたら偶然に上手く行っただけかもしれ無いということですし、百回上手く行っても、百一回目にはダメかもしれないのです。この疑問を拭い去るには、理論的にその正しさを証明する意外には無いと思います。
そう考えて「陰陽五行論」正しさの根拠を求めて、そもそも「陰陽五行論」とは何なのか?その起源は?そしてそれは如何に発展して東洋医学・鍼灸の診断・治療の理論と結びついて行ったのか?そして現在に至っているのか?等々と問うて行くと、あれこれ資料を探して、当たっているうちに、資料の山となって行ってしまって現在に至っています。
「現在の実力で分かり様も無いことに深入りし過ぎても意味が無い」との思いも一方ではあるのですが、「意志はそのものの内に理論的なものを含む」とのヘーゲルの言にもあるように、まずは「陰陽五行論」が正しいと思えなければ、それに従っての鍼灸の診断・治療など真面目に取組める訳も無く、精々が国試にでるからと形の上だけ覚えて、実際は西洋医学的に解剖生理に従って鍼灸治療を行なって行くしか無いとの現実を持つことになるしかないのですから、なんとしてでも「陰陽五行論」について整理・納得しての鍼灸の学びでなければとの決意でいます。
もちろん、ちゃんとした手続きを踏んで検討していった結果「陰陽五行論」が現実性が無い、間違いであるとなったら、それはそれで構わないのですが・・・・・。
当初は「世界の法則性としての陰陽五行論〜天人合一から陰陽五行論へ〜」として「陰陽五行論」について、軽く説くつもりだったのですが、「陰陽五行論」についてはもう少し時間をいただくことになりそうです。
現在、「陰陽五行論」の起源について、その発展の歴史について知ろうとあれこれ資料にあたっています。
これは「陰陽五行論」が東洋医学・鍼灸において、その診断・治療の根拠ともなる重要な理論であるのにもかかわらず、大抵の解説書が、学校の教科書を含めて「陰陽五行論」を正しいとして、それが正しい前提で始まっていて、「陰陽五行論」の正しさの証明はどこにも成されていない現実があるからです。
多くの書で述べられている、「陰陽五行論」に従っての診断・治療が上手く行った、効果があったということは、「陰陽五行論」の正しさの証明とはならない、それはもしかしたら偶然に上手く行っただけかもしれ無いということですし、百回上手く行っても、百一回目にはダメかもしれないのです。この疑問を拭い去るには、理論的にその正しさを証明する意外には無いと思います。
そう考えて「陰陽五行論」正しさの根拠を求めて、そもそも「陰陽五行論」とは何なのか?その起源は?そしてそれは如何に発展して東洋医学・鍼灸の診断・治療の理論と結びついて行ったのか?そして現在に至っているのか?等々と問うて行くと、あれこれ資料を探して、当たっているうちに、資料の山となって行ってしまって現在に至っています。
「現在の実力で分かり様も無いことに深入りし過ぎても意味が無い」との思いも一方ではあるのですが、「意志はそのものの内に理論的なものを含む」とのヘーゲルの言にもあるように、まずは「陰陽五行論」が正しいと思えなければ、それに従っての鍼灸の診断・治療など真面目に取組める訳も無く、精々が国試にでるからと形の上だけ覚えて、実際は西洋医学的に解剖生理に従って鍼灸治療を行なって行くしか無いとの現実を持つことになるしかないのですから、なんとしてでも「陰陽五行論」について整理・納得しての鍼灸の学びでなければとの決意でいます。
もちろん、ちゃんとした手続きを踏んで検討していった結果「陰陽五行論」が現実性が無い、間違いであるとなったら、それはそれで構わないのですが・・・・・。
当初は「世界の法則性としての陰陽五行論〜天人合一から陰陽五行論へ〜」として「陰陽五行論」について、軽く説くつもりだったのですが、「陰陽五行論」についてはもう少し時間をいただくことになりそうです。