MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・休息(睡眠)に関わる問題等を論理的に説きます。

「東洋医学の学びの総括」を書くことでの気づき〜そのことで自身のアタマの限界の実態を知る〜

2018-04-22 20:17:06 | 鍼灸学校の学びの総括あるいは鍼灸・東洋医学とは何か
 「東洋医学の学びの総括」を書くことで、その過程で自身のアタマの働きのレベルの低さを、その実態を痛感させられている。

 現在、「東洋医学の学びの困難性について(すなわち、東洋医学はなぜ難しいのか)=東洋医学如何に学ぶべきか(すなわち、鍼灸如何に学ぶべきか)」を書いているのであるが、その中での自身のアタマの働きの不足を日々痛感させられている。
 具体的には、何か漠然とは書きたいもの、書かねばならないもの、のイメージは浮かぶのであるが、そのことを書いていこうとするとうまく文章化できない、書いていく中でそのイメージが深まっていくように思われるのだがそこを書き出すと全体との整合性がとれない、もやもやしたイメージが文章化できるだけのイメージへと、しっかりと明確なものへと固まっていかない、という現実がある。
 端的には、アタマの中のイメージを文章化できるだけのイメージへと転化していく実力(認識力?)の不足である、と思える。

 これは、この3年間、原稿用紙に万年筆で書くことを怠けて、スマホで打つことをその代わりとした罰なのか、とも思える。また、それ以上に、自身の脳細胞の働きの衰え(年齢による?)である、とも思える。(そこを超えさせてくれるもの、超えるためのもの、が今春からの新たな実践(護身術と絵)であると位置付けてはいるのだが……)

 然は然り乍ら、本ブログの一区切りとしても、現在の自身の実力の限界を知るためにも、「東洋医学如何に学ぶべきか=鍼灸如何に学ぶべきか」をしっかりと書き上げていきたいと思う。

 
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