MJHA(日本を再び健康な国に)〜東洋医学の実践的理論研究~

MJHA(日本を再び健康な国に)という志で、食・運動(姿勢)・睡眠に関わる問題等を論理的に説きます。

他人の弱音は自身の糧である〜人間は社会的存在であるということ〜

2017-02-15 05:38:07 | 日記
奇経八脈について学んだ。集団で学ぶことの大事性、実感する。

東洋医学臨床論の後期末試験範囲に奇経八脈が含まれていた。それゆえ、当然のこととして「奇経八脈」についての学びを行なわねばならない、筈である。

筈である、と他人事のような言いかたになっているのは、当初は、奇経八脈についての学びをするつもりが無かったからである。

理由は、学校の授業では「奇経八脈」とは何なのか?も、何に使うのかも説かれることが無く、ただ、「国試に必要」ということでその流注を文字として教わるのみであった、がゆえに少しの興味も持てなかったからである。それ以外にも理由はあるのだが本題から外れるので、それは、「奇経八脈」について説く時に……。

ともかく、今回は、奇経八脈について学ぶつもりは全く無いままに後期末試験に臨むつもりであったのであるが、そこに、偶然のことに同級生から、「奇経八脈 無理!」との声が聞こえてきたことである。

その「奇経八脈 無理!」との声を聞いて思ったことは、自身の怠け心を棚に上げて、「たかが経脈八つ。それも実質、覚えなければならないのは四つであるのに……。」であったし、同じくに自身の怠け心を棚に上げての、「たかが学校の授業内容に、お手上げ!となってしまうのでは、これから、生命賭けで歩まねばならない鍼灸の道を、どうして歩み続けて行けるのいうのか!」というものであった。(これは、同級生の姿を鏡として、自身を客観視出来た、ということだと思う。)

結果として、半日で「奇経八脈」について整理して、無事後期末試験クリア、ということとなった。「他人の弱音や脱落は、自身の糧、頑張りの原動力となるのだ!」と、社会関係で学ぶということの意義、大事性痛感された。
後期末試験用に、自身で奇経八脈と八会穴を絵に描いてまとめたもの。奇経八脈もまた実際に使わねばならないのだから、単に流注の丸暗記であっても、文字だけからでは……と思う。
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