観見「見ト云ハ、目許ニテ見ル事也。観ト云ハ、心ニテ観ル観智ノ事也。」(二刀一流極意条々)
宮本武蔵は、感覚的現実の世界と観念の世界の二重性が世界にはある、(それゆえ世界は二重性で見るべきだ)ということに気づいていたのだ、と思える。
それは武蔵の雅号「二天」というのにも見てとれるし、冒頭の「観見」という、見ることの二重性の捉え方にも見て取れる。
世上、「二天」というのは武蔵の二刀流からの、と言われるけれども、確かにそういう面はあるだろうけれども、武蔵にとっては、世界は二重ものとして見えていたのだ、そういう頭の働きを武蔵は創出し得ていたのだ、それゆえの雅号「二天」と思える。
例えば、弁証法の学びにおいて、「まずは世界を二重性で、そして弁証法性で、その上で二重性と弁証法性で」と言われるが、全てを二重性で見ていくと、そのことが技化していくと、何を見ても二重性で見えてくる様になってくる。ということにある時、気づかされる筈である。
これは陰陽論にしても、である。当初は、知識での「陰と陽」に分けて見るであるものが、でしかないものが、次第次第に技化していって、何を見るにしても陰陽の二重性で見るようになっていって、やがては意識せずとも陰陽の二重性として見えてくる。
そういう意味で、そのような世界の二重性に気づくようになっていった。二重性が(で?)見えるようになっていった。武蔵の驚き(驚駭!)の気持ちを込めての雅号「二天」なのではないのか、という夢を見ていて目が覚めた。
これはアリストテレスの形而上の世界ということへもつながっていくことなのではと思える。