この日のテーマは、「幸福のありようについて」。
幸福のありようについて書かれている、さまざまな作品を紹介していただきました。
まず最初は、以前の授業で取り上げた3人の養子兄弟のことを描いた『うちへ帰ろう』の作者、ベッツィ・バイアーズの『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ ・訳/金原瑞人・絵/古川タク・あかね書房)です。
70〜80年代のアメリカが舞台で、ベンジー少年がさまざまなピンチの脱出法を考えるというこのお話は、訳者の金原さんのあとがきに「この本はドラえもんのいないのび太の物語」とあります。最後は自分で問題を解決することができ、幸福感を味わうというお話です。
『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ 、訳/金原瑞人、絵/古川タク、あかね書房 1993)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002253715-00
その後、翻訳家の清水真砂子さんが文芸誌に寄稿した「幸福に驚く力」という文章を見ていきました。
幼い頃は大人から見れば他愛ないことが楽しく、幸せを感じることができる「幸福(奇跡)に驚く力」があるが、人生のある時期になるとその力は急速に弱まっていくきます。大人にとっては毎日の生活の中にある幸福(奇跡)に気づくことは難しいことですが、子どもの本の作家たちはそこに目を凝らして、幸福のさまざまなありようを考えて書き、子どもの心に届かせようとしているのです。
※ここで、レイチェル・カースンの『センス・オブ・ワンダー』や、マリー・ホール・エッツの『もりのなか』『またもりへ』などの書名も出てきました。
次に、森永ヒ素ミルク事件被害者弁護団を担当した弁護士・中坊公平の『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)から、お父さんやお母さんのエピソードを交え、「幸せは、実は日に何度も人を訪れているのではないか」という箇所を見ていきました。そんな中坊さんは、昔お仲間から「お前はほんまにアホみたいなことで、勝手に幸せになれるなあ」と呆れられたことがあるとか。ともすれば悲観的になりがちな私たちにとっては、全く羨ましい話です。
『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)https://www.iwanami.co.jp/book/b264407.html
高科先生は、長谷川集平の『はせがわくんきらいや』における、ぼくとはせがわくんの関係を「幸せな子ども時代」と捉え、この日は一年生の女の子2人が主役の『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998)も紹介してくださいました。
『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/227/
トルストイは「幸福な家庭はどこも一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書きましたが、実はそうではなく、幸福にもさまざまな形があり、子どものための本を書こうとする人は、そこにこそ目を凝らして創作しており、高科先生はだからこそ子どものための作家で良かったと思っているのだそうです。
あなたが幸せを感じるのはどんな時ですか? 毎日忙しく過ごしているからこそ、中坊さんのように毎日訪れる幸福に気づいて大切に過ごしたいものです。
休憩を挟んで後半は、『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)をテキストにして進めていくのですが、この日は瀬戸賢一の『書くための文章読本』(集英社インターナショナル)から、文末の表現について見ていきました。
日本語は文末に動詞がくるので、どうしても同じ言葉が並びがちです。そこで、複合動詞(射し込む・吹き荒れる など)や補助動詞(洗い出す・跳ね飛ぶ など)、オノマトペ(擬音語・擬態語)などを使って変化を出します。体言止めや用言止めは効果的ですが、多用すると良くないので、気をつけて使いましょう。 ※ 次回はテキストに戻ります。
『書くための文章読本』(作/瀬戸賢一、集英社インターナショナル) https://www.shueisha-int.co.jp/publish/書くための文章読本
最後に今回の課題は、「わたしの〇〇」です。
「わたし」の部分は、一人称であれば「ぼく」でも「オレ」でもかまいません。
「〇〇」は基本的に名詞であれば修飾語を+しても良く、具体的なものでも抽象的なものでも何でも良いです。
また、内容は創作でもエッセイでもよく、長さもスタイルも好きに書いてください。
ただし、この日学んだ文末の工夫と、魅力的な書き出しに注意することは忘れずに。
提出日は、次回の授業のある6月10日(土)です。よろしくお願いいたします。