枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

地図から消された島・・大久野島に残されたもの、その1

2011-02-18 | 古いもの、昔の人
          大久野島(おおくのしま)は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmにある
          周囲4.3kmの小島です。
          この島は明治30年、日露戦争に備えた芸予要塞の一角として、砲台などが
          設置されたことに始まり、昭和に入りいわゆる毒ガスによる化学兵器の生産施設
          が建設されるに至る、軍事一色の島でした。その存在は秘匿され、陸軍が発行
          した地図にもこの島一帯は空白であり、「地図から消された島」と呼ばれていたと
          いいます。
          太平洋戦争終結時に島内に残留していた大量の毒ガスはGHQにより海洋投棄、
          焼却、地中処分などにより処分されますが、除毒は不十分で、現在でも地中
          4~5mの土壌中には高濃度のヒ素が検出されると言われます。
          当時、施設で働いていた職員も中毒症状を生じ、忠海の病院では4500人もの
          患者の治療にあたってきたとも・・
          長年、この島を蝕んできた恐怖の負の遺産は、生き続けてきたのです。

          昭和38年、国民休暇村に指定された島には、日本全国から多くの宿泊観光客が
          訪れます。
          昭和46年に島に放たれた8羽の兎は野生化し、今や300羽以上とも・・島の何処
          を歩いていても駆け寄ってくるのです。
          そんな、過去と現在が隔絶されたような島です。島の海岸の陰に潜む、発電場跡、
          砲台跡、毒ガス貯蔵所跡など・・まず、発電場跡から見て回ります。
          ここは戦争末期、風船爆弾が製造された施設でもあったとか・・









































うさぎ