枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

地図から消された島・・大久野島に残されたもの、その2

2011-02-22 | 古いもの、昔の人
          昭和38年、休暇村(当時は国民休暇村)に指定された島には、忠海町の努力に
          より、日本全国から1週間、10日と長期に滞在する観光客が集まるようになって
          きたようです。
          車の乗り入れを禁じた島内では、兎も伸び伸びとその数を殖やしています。
          島を訪れる人。昔ここで毒ガスを製造していたことを知らぬ人の数の方が圧倒的に
          多くなったことでしょう。
          私は、休暇村が開設され、船便が就航した当初、この島を訪れています。
          何と半世紀ぶりの島でした。その半世紀を経た記憶は驚くほど変わらずに現実の
          ものとして残されていました。

          発電場跡、砲台跡、毒ガス貯蔵所跡。島の陰に潜むそれらのものは、人間が築き
          残してきた罪悪の証です。
          そのものが今にある意味をしっかりと心の中に刻みたいと思ったものでした。
          前回に続いて、観測所、砲台の入口、楊弾井、砲台地盤、弾薬庫そして火炎放射
          の跡の残る毒ガス貯蔵所跡へ・・





















































島の南端の灯台、向こうは大三島