枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

たたら師の心意気を伝える・・菅谷たたら山内

2011-04-27 | 古いもの、昔の人
           島根県雲南市吉田町の山の中、菅谷地区にたたら製鉄の遺跡を訪ねます。
          わが国にたたら製鉄の技法が伝えられたのは、6世紀、古墳時代後期にまで
           遡ると言われますが、中世以降、中国山地に集中するようになります。
          この吉田で製鉄が始まったのは鎌倉時代・・その後江戸時代に入りそれまで
           の露天の野だたらに変わって高殿(たかどの)を構えた製鉄が始まります。
          今に残る高殿の唯一の遺構が菅谷のもので、江戸中期1751年から
          大正10年まで170年間にわたり操業が続けられたそうです。
          菅谷の高殿は柿葺き、入母屋風の平屋で、棟までの高さ8.6m、前面奥行
          ともに18.3mの大きなもの。
          高殿の前面に連なる家並。製鉄という職能集団の居住空間で「山内(さんない)」
          と呼ばれていました。
          高殿を見、山内を歩いていると、たたら製鉄に携わってきた神人の誇りと心意気
          の余韻を感じたように思えたものでした。
          高殿の前には、製鉄の神である金屋子神(かなやごしん)が降臨したという
          所縁の桂の大木があります。春のほんの短い期間、薄桃色のそれは見事な
          花を咲かせるそうです。
          その時期が近くなると、観光の管理事務所には問い合わせが頻繁だとか・・
          まだ、日陰には残り雪が見える・・そんな日の菅谷たたら山内でした。