枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

江戸時代の始めから・・ 奈良五條新町を歩く

2011-05-19 | 古いもの、昔の人
          洞ヶ峠の故事により後世、日和見と誤伝される大和の戦国大名筒井順慶。
          その家臣であった松倉重政は、関ヶ原の戦いに単身参陣して徳川家康に
          認められ、大和五條二見城、一万余石の大名となります。
          重政は商業の振興を図るなど善政を行い城下町の整備を行ったといいます。
          これが今に残る五條市新町の原形となります。
          松倉重政はその後、大阪夏の陣の戦勲などにより1616年肥前日野江
          4万3千石を与えられ移封しますが、この地での領民への過酷な搾取は、
          島原の乱の引き金になったと言われます。幕府のキリシタン弾圧の意向に
          沿ったものとは言え、戦国とその後を生きた人物、松倉重政の二面を見る
          思いがします。

          この五條新町は大阪と和歌山を結ぶ交通の要衝である旧紀州街道に面して
          います。その古い家並が続く1kほどの道を歩きました。ある晩春の日でした。
          新町の東端にあるのは、国重文の栗山邸。棟札に慶長12年(1607)の銘
          がある、年代判明の民家としては日本最古のもの。堂々たる屋根が覗えます
          が現在も居住されており、内部は見学できません。
          それから西へ。漆喰塗の壁や虫籠窓、格子の家々を見てあるきます。
          家の中を見学できるのは二軒ほど。街の人通りは殆どありません。
          東日本大震災以来、遠くから訪ねる人もめっきり減ったとか。
          珍しく数人の団体が来ます。「あれが うだつ ちゅーてなー・・」の声。
          街外れの吉野川(紀ノ川)をちょっと眺めて大和二見駅から帰途につきました。