夏目漱石(本名金之助、慶応3(1867)年江戸生まれ)は、明治29年、熊本の
第五高等学校の英語の教授として赴任します。
4年3ヶ月の熊本生活の間、6ヶ所の家を転々としたそうですが、ここ内坪井の家は
5番目で最も長く、明治31年から1年8ヶ月住んだそうです。
その家が市指定史跡として残されています。
敷地1434㎡、建物232㎡と広い家。漱石自身も「一番いい家」と気に入っていたよう・・
当時の高等学校の教授はすごく偉かったのでしょう。
夏目金之助と書かれた表札をくぐると、広い庭を見渡せる居間に。
漱石さんが座っていますよ。
ここは、長女筆子が誕生した所。庭には産湯を使った井戸が残っています。
「安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり」
少し照れながら詠んだという句も残っています。
縁には、庭の樹を越した陽の光が柔らかに差し込んでいました。








第五高等学校の英語の教授として赴任します。
4年3ヶ月の熊本生活の間、6ヶ所の家を転々としたそうですが、ここ内坪井の家は
5番目で最も長く、明治31年から1年8ヶ月住んだそうです。
その家が市指定史跡として残されています。
敷地1434㎡、建物232㎡と広い家。漱石自身も「一番いい家」と気に入っていたよう・・
当時の高等学校の教授はすごく偉かったのでしょう。
夏目金之助と書かれた表札をくぐると、広い庭を見渡せる居間に。
漱石さんが座っていますよ。
ここは、長女筆子が誕生した所。庭には産湯を使った井戸が残っています。
「安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり」
少し照れながら詠んだという句も残っています。
縁には、庭の樹を越した陽の光が柔らかに差し込んでいました。








